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つい半月ほど前まで、春山登山で凍死者が出るほどの寒気だったというのに。
この一週間は初夏を思わせる陽気が続いて。
付近の桜は、まるで競うように開花するや、あっという間に満開になってしまった。
一組の若い男女が、郊外電車の線路沿いに植えられた桜の並木の下を歩いている。他に人影は見当たらない。郊外電車ももう数十分、通り過ぎない。
日はとっぷりと暮れて。
野外灯に照らし出された満開の桜は、怪しいほどの美しさだ。
「桜の木の下には、人の屍体が埋っているーーそんな小説を書いた作家が昔いたらしいけれど」
この季節にしては、何十年ぶりという陽気にあわせてか。
気のはやい半袖シャツ姿の男は、頭上の桜を眺めつつ、言うのだった。
「ホントにこの下に屍体が埋っていたらーー怖いよなあ」
傍らの女は、若かったけれど何か、不健康な顔つきなのだった。
夜闇に、ぼおっと浮かぶ桜に負けないほど、その顔もまた青白い・・・・・・。
「屍体ですって? 急に何を言いだすのかしら。どこに埋まっていたってーー怖いんじゃあないの? フツ―の人には・・・・・・」
「そりゃあ、そうかもしれないけれど。それほど、桜ってヤツはさ。妖気を感じるほどキレイだ、ってことなんだろう。
桜がこんなにキレイなのは、埋っている屍体の汁を根から吸い取っているとかなんとか。そんな文句だったっけ」
「ふうん・・・・・・屍体から汁をね・・・・・・ぐちゃぐちゃに腐乱して・・・・・・液化した屍体の汁なのね・・・・・・」
女はどちらかといえばグロテスクな表現で、男の言葉を補完する。
「厭な言い方だな。文学的表現だぜ。もともとは。だいなしじゃあないか、お前にかかっちゃあ」
「そうね。だいなしかもしれないわね。アタシにかかると・・・・・・」
そして。
ちらっ
と桜を見ながら。
しばらくして女は、こんなことを男にたずねるのだった。
「ねえ」
「ん?」
「アタシの家の庭ね。アンタ流に言えば、その妖気って・・・・・・感じる?」
「は? お前の家の庭?」
「そう、アタシの家の庭」
「何んで妖気なんか・・・・・・。第一、お前の家に桜なんかないじゃないか」
「ええ。桜はないわね。でも」
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