ちょっと手をのばしただけで。

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ちょっと手をのばしただけで。

ホームルームを終えた教室は、部活や帰宅などそれぞれに向かう生徒たちの解放された気分でざわついている。 「ごめんね。掃除当番私なのに」 「ううん、急用ならしょうがないよ」 目の前の女子に、上目遣いしながらの両手で拝まれて、澪は小さく頷いた。 澪とは正反対の、イマドキのメイクと髪型、それから、とびきりスタイルがいい。 クラスのアイドル的な女子で、度々掃除当番を代わっている相手だった。 澪は背負いかけていた自分のリュックを机にまた下ろした。 「ほんとありがと! さすが学級委員。今度、何かで埋め合わせするね!」 「ううん、全然気にしないで」 これが初めてのことじゃないけれど、埋め合わせをしてもらったことはない。 それでも、今あの子は急いでいて、自分は急ぐほどのこともない。 それならば、できる人がやればいいのだ。 のんびり掃除して帰ろうと思っていると、ふいに隣の席から椅子を乱暴に引く音がした。 驚いて横を見ると、いつもはとっくに姿がないはずの塁が立ち上がったところだった。 「珍しいね……」 無意識に本音がこぼれて、慌てて口をつぐんだ。 教室のドアに向かいかけていた塁は、俯いたまま足をとめた。 思わず小さく謝りかけた澪の耳に、辛辣な言葉が響いた。 「いいように利用されて、辛くない?」 「え?」 「お人好しすぎ」 情もない言い方に、澪の両目の縁が熱くなって、涙がじわりと浮かんだ。 そうかもしれない。 でも人が困ってるなら手を差し伸べられる自分でいたい。 そう胸の内で呟いて、俯く。 塁はそれ以上何も言わず、教室を出ていった。 「澪ー、今日さ、帰り……え、澪? どうしたの?」 昌美が近づいてきて、驚いた声をあげた。 「う、ううん。なんでもない」 「ほんと?」 疑わしそうな昌美をごまかしながら、澪は塁が出ていったドアを見つめた。 やっぱり、サボテンみたいだ。 ちょっとは手をのばしてもいいかと思った。 でもやっぱり、少しでもふれると痛い。 隣の席同士なのに、ほんの20センチほどの席の間にはその事実以外何もない。 それがまた、澪には悲しかった。
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