一、

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一、

青年は夢を見ていた。 陽はとうに沈み、黒紫(こくし)の裾が空を覆う。深い山の中、明りなんざは一つも無い。山の道から外れた道を、鬱蒼とした茂みの中を、青年はひとり、(ひた)走っていた。頭に被る学生帽、黒の外套に濃紫(こきむらさき)の着物、黒の袴は、泥土草葉に塗れてぼろぼろよろよろ、雀茶色の高下駄までもが土草だらけ。足も腕も顔も、闇夜の中でぼわりと灯る白い炎のようだが、幾本もの紅く細い筋を鋭い枝葉に刻まれて。長い憂いの睫毛がすらりと流れ、雪のように澄んだ白眼に浮ぶ、藍色がかって艶やかなぬばたまの黒眼。双眼大きくきりりと見開きながらも、息は絶え絶え、どれだけ吸っても吐いても酸素は身体に染み込む事を拒んで離れゆく。 だが、呼吸が出来ているかどうかなど、彼の知った事ではない。今は兎に角、音のする方へ、音の聞える方へ。終に音が近くなる、大きくなる、大きくなる。後少し、もう少しと、神経質な皮を破った白皙の手をぐっと伸ばす。其先にいらっしゃるのは―。 はっと眼を覚ました青年。毎回、此の場面で夢が途切れてしまう。     
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