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ご注文のスカートを仕立てていると、ドアに付いたベルが来客を知らせました。
見ると顔馴染みのお客様。大きな庭のある大きな日本住宅にお住いのご婦人です、赤井さんとおっしゃいます。
庭に大きな桜の木があって、できれば中でお花見などさせていただきたいものだと、よからぬことを思ってしまうほど、立派な桜の木の、立派なお屋敷なのです。
歳の頃は五十代後半だろうか、綺麗にしていらっしゃるから少しお若くも感じるけれど、仕事柄、割と年齢当てはできる方だと思う。
少しふくよかな、美しい人だった。
「いらっしゃいませ」
私が笑顔で出迎えると、彼女は儚く微笑んだ。
「ごめんなさいね、大至急、リフォームをお願いしたいのだけれど」
そう言って彼女は、紙袋から男性物のコートを取り出した。
冬物だ、春が来る前に着たいのだろうか。
「ええっと、具体的にはいつくらいまでに?」
「桜が咲く頃には着たいの」
そう言って涙を滲ませた、何か大きな事情があるのだろうか?
今は三月初旬、他の仕事は後回しにして急げばなんとかなるだろう。
「判りました。一週間で仮縫いまで終わらせます。来週の同じ時間に来ていただけますか?」
「まあ、ありがとう」
儚いのは変わらないが、少し喜びを滲ませて笑ってくれた。
希望のデザインを聞き、採寸をする。
亡くなられたお姑さんの着物のリフォームを、数年前に何着か頼まれたのを覚えている。その頃よりは少しお痩せになられたようだ。
「……男性物のコートは、旦那様のですか」
私はとても個人的な質問をしていた。でも彼女は嫌がらずに答えてくれた。
「ええ、やっと遺品の整理をしようと言う気になって……」
ご主人は何年か前に行方不明になってしまっている、まだ赤井さんがうちに来店してくださる前だったのに、私の耳に入るほどの事件だった。真面目で温厚な方だったと聞いている。
遺品、か。もう戻らないと思っていらっしゃるのか。
「使い込まれていらっしゃいますね。旦那様は大事にお使いだったのでしょう」
「ええ、結婚した頃に買ったものなの。一緒に買いに行って私が見立てたのよ」
「ああ、それで特別に思い入れが?」
「そうね、あるわ」
「判りました、では特別丁寧に仕上げますね」
「まあ、ありがとう」
彼女は来週の約束をして、お帰りになった。
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