真神

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 このままでは寝覚めが悪い気がして、僕は風呂敷を解き、干し肉と干し飯を半分、彼女の眼前に捧げた。分かるだろうか、これがまさに儀式の形骸化だった。そこに、権能に対しての畏敬、畏敬に対しての祝福と言う図式はなくて、ただひたすらに僕の自己満足と、忘却された偉大な獣が存在するのみだった。  ――これは、供物と言うことでしょうか。  「迷惑でしょうか」  ――いえ…ですが、何も報いることが出来ません。  「構いません」   ――そういう訳には。  前言を撤回しよう。彼女は、今も神で在り続けている。その偉大さは変わらず、人々に望まれた姿を保たんとしている。 神とは、信仰に対して報いるものだ。かくあれかしと望まれた存在が、その誓約を無視する訳には行かないのだった。  ふと、この山に登った当初の目的を思い出す。そう言えば僕は、小説の題材を求めてここまで来たのだった。余りに浮世離れした目の前の光景に、結びつけることが出来なかったが、ひょっとすると、これを物語にすることは出来ないだろうか。  その旨を告げると、彼女は首を傾げた。  ――それで、あなたが報われるのですか?  「私は、物書きなのです。十二分に果報です」  ――それなら、拒む理由もありませんね。  “真神”とは、狼の一側面であるらしかった。農業と山の獣が共存する時、必ず“真神”もそこに存在した。作物を荒らす鹿や猪、それを喰らう生態系の頂点である狼。人はそこに、恩恵を見出した。そして狼を崇め、奉った。“大神”でない理由は、中央権力への恭順と同時に、ささやかな抵抗であろうか。例えそれが本能と空腹を満たす為の捕食であったとしても、彼等にとって真の神であったのかも知れない。  僕の両親は信心深い人だった。僕は教義を妄信はしなかったけれど、“信仰”がどれだけの力を生むのかは、理解しているつもりだ。それはともすれば本当に、ただの獣を神に変えてしまう。  けれどその信仰が埃を被って過去のものになったら、残された神はどうなるのか。  人の居ない閑静な山の中を歩きながら、そう呟く。彼女はその四つ足を、僕の歩幅に合わせて、ゆっくりと動かす。穏やかな風に、春を迎えた桜の花がはらりと散り、舞う。  ――人の信仰は、過ぎ行く風。ならば私はさしずめ、この桜の花びらのようなものでしょう。舞い上がったとして、いつかは地に落ち、朽ちる。
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