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あの山へ再度足を運んだのは一月経ってからだった。たった一つ遺された祠は、雷雨か嵐か、山中で見かける多くの瓦礫に仲間入りしていた。狼の姿は見えない。消えてしまったのか、最後の信仰の残り香が失われ、何処へか旅立ったか。どちらにせよ、成る程、もう会えないのだろうと言うことは理解出来た。
何となく山の中を歩く。桜はもうとっくに散り、穏やかな風は湿気を孕んでいるが、それでもあの時のクサイチゴは実を付けていた。何と言う執念。しかし、彼の主は最早ここに居ないのだった。
そのままにしておくのは忍びなく、両手を合わせて祈った後、一株を掘り出し鞄に入れた。
汽車に揺られ屋敷に戻った後、クサイチゴを庭に埋めたところ、あれよあれよと元気に茂り出した。
それを見て、ふと思う。彼女の祠も作ってみようか。町の大工に頼むと、少し怪訝な顔ながらも了承してくれた。記憶に任せ絵に描いたその祠を見て、
「こんなナリのは見たことがないですがね。お地蔵さんでも、お稲荷さんでもないんでしょう?」
「真神、と言うらしいのだ。まあ、一つ頼む」
「はいよ」
意味があるのかと言われればないのだ。けれどこの稿料は彼女から貰ったようなもので、その内の幾分かを使おうと何ら不都合はない。
暫く、庭が騒がしい日々が続いた。訪ねて来た出版社の友人も、怪訝そうな顔をしていた。
「お前の家、仏門じゃなかったか」
「僕は違うと言うだけのことさ」
「ふうん。まあどうでも良いんだが、次の仕事だ」
「息をつく暇もないな」
「選り好みしていられる身分でもなかろう。仔細はそこに書いてある」ヒラリと紙を放り投げ、彼は立ち上がった。
「茶ぐらい出すぞ」
「俺も出される気で居たが、こうトンテンうるさいと敵わん。またな」
そう言って西洋の帽子を被って去っていく友人を見送り、内容を確認する。短編。以前のが好評だったので、もう一本似たようなテーマで頼む、と言ったようなことが書いてある。
物珍しいだけで受けたのかと思ったが。存外この国の人は、夢幻のような話が好きらしかった。
「どうしたものかな」
けれどあれは僕の功績ではないのだった。
騒がしさと大工の面々が謝礼を手に去った後、僕はしげしげと真神の祠を見つめた。流石匠の技と言うべきか、あんな落書きからでもほぼほぼ完璧に再現されている。隣にはクサイチゴ、今日も今日とて赤々とした小ぶりの実を付けている。
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