第二場

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そこへ男が帰って来る。 「おせいさん?こんなところでどうしたんですか?」 「ああ、なんでもないよ。おかえり。早かったね。」 「今帰りました。今日は座敷が少なく、板場が早く上がりましたので。」 「そうかい。いつもご苦労さま。」 「いえ。 あ、これ頂き物ですが、お饅頭です。」 「じゃあ、今お茶を入れよう。」 「はい。 今日は天気もいいし、ここから庭の桜を眺めながらお花見とするのもいいですね。」 「桜か…。」 「桜が咲く頃なら、伊佐さんが来てもう一年になるんだね。 私が昔読んだ草双紙からつけた『伊佐吉』って名前も馴染んじまって。」 「はい…すみません。あのまま一年もお世話になって。」 「謝ることなんてないよ。 お世話になってと言うけれど、伊佐さんは宿の板場で働いて、自分の分だけじゃなく私の分まで稼いでくれる。 私の方がお礼を言わなきゃね。」 「そんな、お礼だなんて!」 「本当のことだよ。 でも伊佐さんが包丁を握れるってわかった時には驚いたね。 手に筆やそろばんだことは違った跡があって、偶然包丁を握ったら見事な手つきだったものね。 でも、『前は板前かなにかだったのだろう』とわかるくらいで、他のことは今も思い出せないままだものね。 家族も心配しているだろうし、名前だって本当の名前じゃない。 早く思い出せるといいね。」 「…。」
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