花冷えの宵

2/6
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
『あの日と変わらない桜の木の下で、あなたを想う』  雑踏の中に埋もれまいと懸命に自己主張してくる新作映画のポスターに書かれたキャッチコピーが、ふと目についた。気になって検索してみた映画の内容そのものは、数年ぶりの再会で恋に落ちた教師と元生徒のラブストーリー。  うーん、先生ってそんないいもんかね。  自分がろくでもない教師に心身ともにボロボロにされたからか、どうしても挟まってしまう冷めた感想には背を向けて、私はまた個性も目的も希薄な人の流れに沿って歩き出す。  あー、そもそも桜の木とかいい思い出ないんだけどな。  小学校(たぶん)の入学式では、桜の木の下で空を見上げていた目にカラスの糞が入ってとんでもないくらい痛かったし、中学・高校と、毛虫の毛が飛んできたのに当たって、その毒でかぶれてしまったりもした。しかもほぼ毎年。  そんなんだから、春の桜の木の下なんて好きにはなれない。大学とか職場とか、私が桜を避けるようになってから出会った友達からは「かわいそ~」と笑われるけど、正直何が可哀想なのかがわからない――なんて言ったら嫌われそうだから言わないけどね。  そんな私が雑踏の中を歩き回って、その先にようやく見えた都心部にありがちな隙間にできた小さな公園の、よりにもよって桜の木の下で足を止めてしまったのには、2つくらい理由がある。  1つは、単純に人混みを歩き回って疲れきっていた私の前に、天恵のように現れたベンチがたまたまそんな桜の木の下にあったこと。  そして、もう1つは。 「――先生?」  思い出したくもない、できれば忘れてしまいたい。  そう思って、だからずっと忘れられていなくて、そのせいで気がおかしくなりそうで、それくらい最低の思い出を私の心身に刻み付けてきた先生(・・)が、桜の花が舞い落ちてくる虚空をとても寂しそうに見つめていたからだった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!