牛飼い童犬丸の話

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 その宮さまが急な病でお隠れになったあと、俺は宮さまの弟宮帥の宮(そちのみや)にお仕えした。整いすぎて冷ややかに見える美貌は兄上に引けを取らなかったが、実直で誠実なお人柄で、話してみれば見た目とは裏腹に誰に対しても気さくに打ち解けたご様子で振る舞われる。女に対しても初心(うぶ)で、通いどころもなかった。それなのに二度目の北の方にお迎えした姫君とは反りが合わず、よく自分のお部屋に戻られると(ふさ)いでいらっしゃった。俺たちお仕えする者たちは、女のひとりも作らないから北の方様に馬鹿にされるのだ、ともっともらしい顔でささやきあっていた。  あれは、夏が始まった頃、足音も荒く宮さまはご自分の(たい)に戻ってこられ、俺をお呼びになった。 いかがなさいましたか、と聞いたものの、牛飼いの俺が呼ばれるのだから、無論外出に決まっている。宮様は 「車の用意を」 と、簡単に命じられた。いつもの網代車(あじろぐるま)でよろしうございますか、と尋ねると、美しい眉をよせてから口の端に笑みを浮かべ、 「いや、今日は網代は網代でも八葉(はちよう)の車にしようか」 とおっしゃる。 「は」 と俺は返事をしながら驚いていた。八葉の車は網代車のなかでも、お忍びでよく使われる車なのである。忍んでいくところなどないくせに……と俺は思いながらも仰せの通りに、八葉の車を他の牛飼いたちとともに渡殿(わたどの)までさし寄せてから、極上の黄牛(あめうし)を用意した。名を塩竈という、この黄牛も清少のオバサンのお好みである。まさかあのオバサンのところへお通いに? と宮様の真意を測りかねていたが、まあ、別に俺は言われたとおりにすればいいだけなのでしかつめらしい顔をして車の横で宮様をお待ちしていた。     
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