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わたしはふらふらと、その声に引き寄せられるように声の主のところへと近づいて行った。
築地の破れからこわごわ覗くと、狩衣姿のすらりとした匂いやかな若い男が立っている。お背が高くてお顔はよくわからない。
「さあ、この文を明子様のもとに持っていっておくれ」
文を結びつけた枝がにゅっと差し出された。
「はるこ……」
小首を傾げたわたしに、声の主は言った。
「お前、明子様を知らないのかい。ああ、名前を知らないのだね。お前がお仕えしている方のことだよ」
新参のわたしは迂闊なことに、ご主人様の名前をまだ知らなかったのだ。
「ではこれを。あの方のところへ。ここで待っているからね、すぐに返事をもらってきてくれよ。ああ、走らないで、花が散ってしまうから」
「あの。あなたさまのお名前は」
そう聞いたとき、築地の向うにいる人は少し間を置いてから、
「西国から上ってきた田舎者、といいなさい」
と明るい声でおっしゃった。
わたしは白い花が可愛らしくついた橘の小枝を両手で捧げ持って、生まれて初めて言いつかった大事なお役目、失敗すまい、花散らすまい、と肩肘を張って主のお部屋へと向かった。
「江の御方、これを江の御方へ差し上げなさいと」
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