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木琴の音がした。俺のすぐ隣から。らるら、らるら、と軽やかに奏でられた音が、春の陽気に溶け込むように消えていった。
「そんなもの持ってきてたのかよ」
苦笑交じりにそう言って、作ってきた大福を口に放り込む。うむ。今日も良い甘さだ。一人でふふ、と笑う俺に、違うよ、と彼女は言う。
「落ちてた」
指差す先にはゴミの山。どうやら彼女は、昨日あたりに捨てられたおもちゃの木琴を拾って演奏家気分だったようだ。
今日は月曜日。一昨日、昨日と晴天が続き、この公園にも大勢の花見客が訪れたらしい。物言わぬ廃棄物たちが、寂しげに語っていた。今日は朝から風が吹きしきっている。
辺りに人影はなく、たゆむ電線に雀の姿もなかった。広い公園と、その空。学生二人が貸し切るには、随分と贅沢に思えた。
キュルン、と間抜けな音がした。今日だけの演奏家は、狭い鍵盤の上で小さなマレットを躍らせていた。マレットはまるで棒付きキャンディみたいで、彼女の横顔も少し幼く見えた。
「今日の雲はなんだか、綺麗な桜から逃げてるみたいだ」
唐突に彼女はそう口にする。文芸部に所属しているからか、恥ずかしげもなく詩の一文みたいなことを言う。だが、俺はそれを痛ましいだなんて思わないし、むしろ彼女の紡ぐ美しい言葉をずっと聞いていたいとすら思う。
それは勿論本心なのだが、彼女の言葉に背中がソワソワする自分もいて、袋から二つ目の大福を取り出し、口に運んだ。さっきよりも少しだけ、甘いような気がした。
この大福は、今朝俺が作った。昨晩唐突に『甘くてふわふわの、春みたいなやつ』というメールが届いたのだ。慌てて近所のスーパーに材料を買いに走った俺の気持ちにもなってほしい。ちなみに、ここでいう春、は季節のことではなく、俺のことだ。
日野春翔、料理部所属。初めて俺の作った大福を食べた時、春みたいだ、と彼女が言った。それから二人の間では、「春みたいなやつ」として定着してしまっている。
嫌な気持ちはしない。なんだか二人にしか分からない暗号みたいでドキドキする。以前、春の感性は子供のままだ、と彼女に笑われたことがある。まったくその通りでぐうの音も出なかった。
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