第1章

3/15
前へ
/15ページ
次へ
 言われてみれば確かにそうだった。この父親は母が亡くなった時は、お湯ひとつ沸かせなかったのだ。  母から生前聴いた話しだが、結婚間もない頃、用事で外出していた母が急いで帰ってみると、真っ暗な家の中で父親がぽつんと座っていたという。嘘のようだが電気の点け方さえ良くは知らなかったとか……。  兎に角そんな父親がこんな事を言うのは意外だった。  店先で、そんなやりとりを思い出した。 『買って帰って土瓶蒸を作ってみても良いかも知れない』  そんな気持ちになった。 「じゃあ貰おうかな。どれが良いかしら」  愛美は幾つか並んでいる籠を見渡して、一番太くてしっかりした松茸が入っている籠を取り上げた。 「さすが愛美ちゃんだね。実はそれが一番良いやつさ」  親父さんはそう言って褒めてくれて、奥から傘の開いた松茸を二本持って来た。 「これはオマケさ。こっちは切り刻んで松茸ご飯にすれば良いよ」 「ありがとうおじさん」  代金もまけてくれ、小さな三つ葉の束もくれた 「売り物にならないけど、未だ使えるからね」  親父さんのその気持に感謝した。  まけてくれたとはいえ予算的に苦しくなってしまったことに変わりは無かった。仕方なく愛美はスーパーに行き、特売の「一切百円」と札が立っている鮭の切り身を三切れと、冷凍のホウレン草を買って帰った。献立の変更である。  家に帰って早速冷蔵庫を開けてみる。確か先週「茶碗蒸し」を作った時に使った小エビと使い残して瓶に入れておいた銀杏があるはずだった。 「あった……これを使えば……」  愛美はレシピ本を開き「土瓶蒸し」のページを開いた。大凡は想像で判ったが、きちんと知っておきたかった。母が父親に良く作っていたと知ったからだ。  出汁をきちんと採らないとならなかったが、幸い今朝、味噌汁を作っ時に使った出汁が冷蔵庫に鍋ごとしまってあった。これを使おうと思った。  幼い頃から母親の手伝いをして、特に料理と掃除は結構仕込まれたのだった。  解凍した小エビをさっと茹でて、銀杏と三つ葉を切って一緒に入れる。松茸は傘が開いてない方を厚めにスライスしてこれも土瓶蒸しの土瓶に入れる。思い切って沢山入れた。  そこに冷蔵庫から出した出汁を軽く塩味をつけて張って行く。  並々と入ったら猪口兼用の蓋をする。これを火に掛けるのだが、今日は蒸すつもりだった。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加