第1章

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 この前までろくにお湯も沸かせない父親が心配なのだ。毎日の食べるもの、それに洗濯や掃除、もろもろの雑用。そんなことが父親にこなせるだろうかと思うのだった。 「ただいま~」  玄関で父親が帰宅した声が聞こえる。はっとして我に帰り 「お帰りなさい! 今日は松茸だよ!」  と努めて明るく振る舞うと 「おお、松茸なんて久しぶりだな。この前の土瓶蒸しを見たからか?」  察しの良い父親はそう言って千秋の表情を伺った。 「買い物行ったら、八百屋の親父さんが勧めてくれたの。オマケもしてくれたのよ」 「何時もおまけしてくれるのだろう。今度会ったらお礼を言っておくよ」  父親は鞄を持ちながら奥の自分の部屋に着替えに行った。夕食の支度を急がなくてはならない。  お風呂場からは弟が大きな声で 「父さん、夕食の前にお風呂に入ったら? 沸いているよ」  そう言うと父親が返事をする 「ああ、すぐ入るよ」  お風呂の掃除や支度は弟と決まっている。意外にきれい好きな弟は何時も風呂場をピカピカに磨いている。  父親がお風呂に入っている間に夕食は完成した。食卓に三人が並んで、土瓶蒸しが目の前に置かれている。  まず始めに父親が食べ方を実際にやってみて教えたが、弟は最初にご飯を口いっぱいに頬張り、土瓶蒸しのお汁でそれを流し込んだ。 「台なし……」  愛美が嘆くのを尻目に、弟はお汁を飲み干し、中の具を箸で摘んでパクパクと食べてしまった。見ると、焼き鮭もすでに無く、ほうれん草の胡麻和えも減っていた。 「ごちそうさま」  そう言うと弟は自分の食器を持って流しで洗って籠にあげて 「じゃ、宿題があるから、姉さん先に風呂に入っていいよ。俺最後に入って洗うから」」  そう言って部屋に帰って行った。 「味も素っ気もない感じね」  愛美は呆れて言うと父親は笑って 「あの頃は味より量だろう。兎に角腹が減る年頃だ」  父親は何時もお銚子一本だけの晩酌をする。今日は土瓶蒸しを肴にして呑んでいる。愛美はそんな父親を見ながら、ご飯を食べ終えた。明日は終業式だ。進路調査票を出さないとならない。そんな気持ちを察したのか父親が突然 「愛美、進学しろ! 父さんのことは気にするな。今はコンビニだって、クリーニング屋だってある。何とかなる。ゴミに埋もれても死んだ奴はいない」  どうして判ったのだろう、父親の前ではひとつも心配の素振りはしなかったはずだ。
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