第1章

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 母親が存命の頃は、愛美には良く判らなかった。父親が本心で喜んでいるのか、母親に気を使っていたのかが……  母親が入院していた時に愛美は病院で尋ねたことがあった。 「ねえ、お母さん、お父さんは濃い味が好きなのに、何故母さんの薄味を喜んで食べているの?」  その質問を聴いた時の母親の嬉しそうな表情を今も忘れない。 「それはね。お母さんがお父さんの体のことを心配している。ということがお父さんには嬉しいのよ。家族に本当に心から思われている……それが実感出来るから、お父さんは本来の自分の好きな味ではないけれど『美味しい』って言ってくれるのよ。お母さんね。それを見てね『ああ、この人と結婚してよかった』そう想ったの」  その時、愛美は夫婦の間には夫婦にしか判らないことがあると想った。 「良かったね。お父さん濃い味が好きなんでしょう。菊池さんの味付け濃いから」  愛美は母親とのことを思い出しながら言ったのだが、父親の答えは予想とは違っていた。 「いいや、勿論、濃い味付けは好きだったが、母さんの味付けも薄味だったけど美味しかったよ。本当さ。だから何時も食べる度に美味しいって言っていたんだよ」 「じゃああれは本心で言っていたの?」 「ああ、そうさ。お世辞なんかで母さんが嬉しがると思ったか?」  言われてみればそうだと気がつく。愛美は病院でのことを父親に話した。それを愛美が思ったことを含めて最後まで聞いた父親は 「それは母さんの照れと惚気だよ」  そう言って父親も妙な笑い方をした。 『ああ、お父さんも照れているんだ』  そう感じた愛美は、このことをこれ以上訊くのは止めようと思った。きっとこれ以外にも二人には色々な想いがあったのだと理解した。  父親は飲み終わると愛美に 「さあ、ご飯にしてくれ」  その言葉で我に返り、炊飯器からご飯をよそう。白いご飯から水蒸気が上がり、美味そうな匂いがした。  弟も来て夕食に参加する。千秋はその晩は少しだけ、母のことを想うことにしたのだった。  すでに二学期が始まり幾日かが過ぎていた。まだ残暑は厳しく朝晩は兎も角、日中は真夏を思わせる日が続いていた。  愛美は高校から帰るといつも通り夕食の支度をしていた。今日は弟の好きなカレーだ。今夜は父親が出張の為帰って来ないのだ。こんな日は弟の好きなカレーになる確率が高い。
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