千本桜

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「明日俺ちょっと役所行ってくるから」 「うん。ああ、手続きあるもんねたぶん色々。手伝う?」 「いや。いいよ俺一人でできるから」 「うん。でもさ…大変じゃない?」  辛くない?とは聞けなかった。  妻に先立たれた父は辛いに決まっているし、いま父に泣かれたらやっぱり私も泣いてしまいそうだった。  通夜と葬儀で散々泣いてまだ少し頭が痛い私は結局父になんて言葉をかけたらいいものかもわからない。  子の立場としては自分の歳より早く親を失う人が世界にたくさんいると思うと、むしろ大人になるまで両親がそこにいてくれたことに感謝すべきだろう。  だから自分にはそれほど激しく嘆く資格はないように思えた。  でも父は?  こんなに早く妻が先立つなんてこと思ってもいなかったに違いない。  そう思うと私のように成人を過ぎ親が死んだ子より、早くに配偶者をなくした片割れの方がよほど不憫な気がした。  胸に何かがこみ上げて、それが喉までせり上がる。  自分が寂しいんだか父の気持ちを想像して辛いんだか。  その痛みか悲しみだかもよく分からない塊を飲みくだす。  本当は母の思い出話でもしたほうがいいのだろう。でも二人とも、母の具体的な話はできていなかった。  最後に何を話したとか、最後の日はどうだったとか、話したいようで話したくない。  というか、私には話せなかった。  大切な人が死ぬという出来事にどう反応したらいいのかよく分からない。  父はどうだろう。でも母にもよく似たもの親子だと言われていたから同じような気持ちなのかもしれない。  私たちは平然としているけれど、ただうまく受け入れられなくて呆然としているだけなのだ。  母が死んだその瞬間から私たちはバネ仕掛けのおもちゃのように動きつづけていた。  私は立ち止まったら動けなくなるような気がして、父と一緒になってテキパキと目の前のことをこなすことに集中していた。  前だけ向いていれば少し母親を失った恐怖が薄れるような気がしていたから。  私たちは当たり前の日常を続けることでなんとかこの出来事に耐えようとしている。
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