第一話 入れ物

2/57
前へ
/2501ページ
次へ
 例えば猫は箱が好きである。お気に入りの箱を持つ猫もいるだろう、だが人間のように大事にしたりはしない、安心感を得るために箱に入るだけだ。  大切な物を入れる入れ物、中身はとっくに失ったのに入れ物だけが残る事もある。これはそんな話しだ。  昼食を終えた哲也がトイレに行こうと廊下を歩いていると後ろからカツンカツンと音が聞こえて振り返る。 「あっ!! 」  思わず声を出した哲也を30過ぎくらいの中年男がジロリと睨んだ。 「すみません、目にゴミが入ったみたいで...... 」  目を擦りながら哲也が謝った。  男は何も言わずに松葉杖を突いて哲也の脇を歩いて行く、右足が不自由らしい、カツンカツンと鳴っていたのは松葉杖の音だ。 「気のせいか...... 」  小さな声で哲也が呟いた。  杖を突く男に驚いたのではない、男の右半身に黒い影のような物が纏わり付いて見えたのだ。哲也が気のせいと思うのも仕方がない一瞬の出来事だ。男の睨む顔を見て慌てて誤魔化すように目を擦って謝ったというわけだ。 「哲也さん、薬は飲みましたか? 」  去って行く男を見ていた哲也に看護師の東條香織(とうじょうかおり)が声を掛けてきた。  香織は新しく入ってきた看護師で哲也が入っているA棟の担当医師である池田先生とは遠縁らしく直ぐに親しくなった。 「うん、ビタミン剤なら飲んだよ」     
/2501ページ

最初のコメントを投稿しよう!

413人が本棚に入れています
本棚に追加