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溝呂木における「些細な日常の状況」とは、会社の出勤が面倒くさい、働きたくない、ということ。うーん、核攻撃が起きて街が焦土と化したら仕事が休めるだろうなあ……それが溝呂木健一のセカイ系的発想の端緒。ただし、その矮小にして壮大なスケールの終末思想とは裏腹に、コンビニで買ったサンドイッチとおにぎりと牛乳といういたって小市民的なランチを、道路を挟んだ自社向かいのビルの屋上でするため、溝呂木は歩いていた。
昼休みになると溝呂木は一人、毎日のように彼(か)の場所に来る。スプロール化したバブル期の残骸のビルとして、ようやっと近日中に取り壊しが決まった廃ビル。ビル内には個人も法人もいない。原則的には立ち入り禁止だが、溝呂木は構わず昼食をとりに来ていた。時折、ビルの管理人もしくは警備員などが見回りに来るが、その際に注意されたらそれで立ち退くし、そうじゃなければ壊される日までここで昼食をとってボーっとしているだけのこと、というのが溝呂木のスタンス。
社内や社外で上司や同僚とメシを食ってもうまくない。基本的にこのビルの屋上は普段は誰もいない。一人でしみじみと昼食をとっている方が僕には合っている。何よりもこのビルの、周りの風景を見渡しきれない、中途半端な高さが気に入っているんだ。
溝呂木にはそんな得心があった。
実際、光化学スモッグ気味の都会の景色を一望できない8階建てのこのビル。両隣の高層ビルに申し訳なさそうに挟まれて、その存在は芸術的価値を包括しないトマソン。だが、超高層ビルで働く溝呂木にとって、ニ十メートル半ばの高さのこのビルは、得がたい妙境(みょうきょう)であった。
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