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それから
久し振りに戻ってきたかつての我が家には、そのままの書き置きが残されていた。
誰も繕うことがなくなったトタン板の隙間から吹き込む風は冬の名残があって鷹取は身震いを覚える。
その風は置き去りにされた自分のメモ紙の隅っこをひらひらとはためかせて、ここには誰もこなかったのだと鷹取に知らしめた。
『俺は無事だ。避難所の校舎にいたが去ることになった。
このメモを見たら連絡してほしい。090-xxxx-xxxx』
重く垂れ込める雲のせいだろうか、それとも潮気を含んだ海風のせいだろうか、いずれにせよこの地を満たしている知れた空気が否応無しにあの悪夢を思い出させる。
そもそもこの小さな海際の街に降りかかった災いだ。生きていたのならば再会できないはずがない。
けれども淡い期待すらなかったかといえばそれは嘘になる。少しばかり遠出をしていて家に戻れなくなっただけなのかもしれない、津波に襲われた当初はそんな希望を持ち合わせていたはずだった。
それも時の流れと共に削がれてゆき、いつしか追憶の彼方に置き去りにされていた。
海の恵みで生業を立てていたからその優しさも怖さも存分に理解していたつもりだった。だがそれは驕りだったと鷹取は思い返す。自分の生まれ育った街がその海によって抉り取られることなど、想像だにしなかったのだ。
生まれ育ったこの地を逃げ出すように去って、見知らぬ場所に縋りついた。そこは潮騒の香りのかわりに生ゴミや排水といった生活臭がほのかに漂っていた。鷹取にとってそんな住宅街の片隅はかえって都合が良かったのかもしれない。まるで違う環境に身を置くことで過去を忘れられる気がしたからだ。
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