朝顔のゆれる空のしたで

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「母さん、そろそろ帰ろう。あとは家でゆっくり純也(じゅんや)と話せばよかろう?」  父親のかけた言葉に母親はやっと墓の前から立ち上がった。 「俺、バケツを片付けたら、そのまま塾に行くけん」  父親は航平の言葉に満足げに頷くと、母親を促して両側に墓の並ぶ通路を盆灯篭を避けながら歩いて行った。航平は前を歩く両親の背中をついていきながら一つ息を吐くと、 (誰がこのいい天気に塾になんか行くか)  模試の結果は志望高校の合格ラインに達している。今まで、航平にうるさく言わなかった父親が、ここ最近いろいろと干渉してくるようになったが、今日くらいは塾をサボって友だちとプールに行ってもいいだろう。航平は空のバケツを持つと先ほどの水場へと足を進めた。  大きな寺の広い墓地には迷路のように墓が埋め尽くしている。八月のこの時期は、色とりどりの盆灯篭が墓の至るところに供えられていた。この街に住んでいる航平には当たり前の光景だが、自分がその灯篭をこんなに早く供えることになるとは半年前までは思ってもいなかった。  墓の迷路からやっと広い場所へと出てきたとき、 「アンタッ! どうしてここまで来たんじゃっ!」  厳かな空気を切り裂くように響いた怒号は航平の父親の声だ。その声に航平はビックリして水場にバケツと柄杓を乱暴に放り投げると、急いで大声のした寺の入口へと足を進めた。こんなに怒りに満ちた父親の声を聞くのは二度目だ。そう、一度目は航平が小学生の頃、当時高校生だった兄と父との激しい諍いのときだった。  寺の入口で繰り広げられている光景に航平は唖然とした。普段はあまり感情を表さない父親が、さっき見た寺の門近くに立っていた黒づくめの男に掴みかからんばかりににじり寄り、母親が腕を取ってそれを必死で止めていたからだ。 「アンタのせいで、息子はっ!」 「お父さん、やめて!」  悲鳴に近い母親の声に父親が、はっと動きを止める。自分たちを遠巻きにして様子を伺う墓参りの人たちの中に驚いた顔をしている息子の姿に気がつくと、取り乱したことを取り繕うかのように黙って立つ目の前の男に向かって、 「……ええか。もう金輪際、わしらの前には姿を見せんでくれっ!」
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