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その日のことを話す笹木の顔が苦しそうに歪んだ。航平は兄の最後の様子を聞き洩らさないように耳を澄ませた。
「仲間と飲んで騒いでいたら、派手に転んで頭をぶつけたって笑っていたけれど、どう見ても普通に酔っている風じゃなかった。今夜はやめておこうと言って取り敢えずホテルのベッドに寝かせてね。そうしたら純也が煙草を忘れた、凄く吸いたいって駄々をこね始めたんだ。僕に買ってきてくれって」
さらに煌めく川面に眉間に皺を寄せて眼を細めた笹木が言葉を続けた。
「急いで煙草を買ってホテルの部屋に戻ったら、純也はベッドから落ちて床に仰向けに倒れていた。慌てて頬を叩いて何度も純也の名前を呼んだ。少し意識が戻って僕の顔を見て、何かを小さく呟いて……。結局、それが彼の最期になってしまった」
隣の笹木は語り終えると疲れたように息をついた。そのまま、川沿いの木陰の下でふたりして黙って時が流れていくのを見送る。対岸に見える原爆ドームもこの暑さのせいでゆらゆらと霞んで見えた。
「……笹木さん、ごめん」
急に航平に謝られて笹木は小首を傾げた。
「笹木さんは全然悪うない。むしろ兄ちゃんを助けようとしとったのに……。親父が酷いこと言うて、ごめんなさい」
「いや、ご両親の気持ちは判るよ。……大事な息子さんを物のように扱った男なんて許せるはずも無い」
自虐的に笑う笹木を見ても、航平にはこの人が悪い人物には見えなかった。
(きっと笹木さんはどうしても兄ちゃんに会いたかったんじゃ)
航平は決心した。そして、
「笹木さん、いつまで広島におるん?」
「実はね、もう今日の夜の新幹線には乗らなくちゃいけない」
ますます時間が無い。航平は勢い良くベンチを立ち上がると、
「笹木さん、これから兄ちゃんのところに行こう!」
えっ、と笹木が驚いた声をあげた。
「仏壇の前は無理じゃけど、墓参りなら俺が連れていくけん」
「……でも、お父さんにばれたら航平くんが怒られてしまうよ?」
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