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火曜日のテラス
彼のことはあまり知らない。少なくとも中学生になった彼のことは…他に誰のことを特別知っているというわけでもないけれど。
向かいで黙々とノートに絵を描く彼のほうは、私がじっと見ているのを知らない。描くのは小学生の頃と同じ、飛行機と船。鉛筆の黒。昔より長くて細い指。流れるみたいに線を重ねるから、長く見える。
特別に特別展に行った昨日も、いつも通りテラスに座っている今日も、見慣れた黒い制服を着ていて、だからここに来る前は毎日同じ学校にいる。多分同じ階で過ごしてる。ときどきしか見かけないし、廊下では何も言わずすれ違う。
色素が薄めの少し柔らかそうな髪の毛、窓からの光で透けてる。動く度、微かにふわっと揺れる。目の前にいて声が聴きたくなる。淡々としているけれど柔らかい、
「何考えてるの」
ふっと顔が上がって聞かれて、耳がきゅっと縮む。
「ゆっちゃんは黙って座ってるとき、いろんなこと考えてそう」
「そうかな」
彼とは小学校の三年生の冬に隣の席だっただけで、学年の終わりにはもう話さなくなって、それからずっと違うクラス。
話さなくなったのは、ある日の放課後、私が彼を突き飛ばしたから。
「あのときごめん」
「いつ」
「小三の、突き飛ばしたとき」
「気にしてないよ」
なんで今思い出したんだろう。
「今も飛行機と船描いてるんだね」
「あの頃ゆっちゃんに色塗られそうになって困ってたな、面白かったけど」
そうだっけ。私、色塗ろうとなんかしたっけ。彼は私が見た限りでは、あの頃から黒い鉛筆しか使わない。
「そういえば、なっちゃんに美術部誘われた」
なっちゃん、なつめは美術部のたった一人の同期だった。
彼は私のことあまり知らない、少なくとも中学生になった私のことは。
彼は知らない。ここに来るようになった頃、私が美術部を辞めたこと。
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