理不尽な協力

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理不尽な協力

 壱ノ宮から離れるのは久しぶりである。  少し前までは自宅と敷地内の工場で働く毎日だったし、最近引っ越したが市内なのと元自宅である実家の工場の往復がほとんどの日々。  晩酌に出かけるのも市内の駅前ばかりだから市外に出たことはない。  そんな私でもたまには市外の名古屋に行く事はある。  だがそのほとんどは親戚の冠婚葬祭なので、名古屋には正装しないと行ってはいけないなどと勘違いしていた。  しかしついこの間、エスカ地下街でジャージ姿で歩いているお爺ちゃんを見てからは、なんだラフな格好でもいいのかと気楽に出かけれるようになった。  今日は知人の紹介で教えてもらった陶芸展の帰りである。  それほど酒に強くはないが、良い器で呑むと美味しいのを知ってからは、ちょっとだけ器にこだわるようになった私の名は小川三水、小説家である。  土曜日の夜七時過ぎ、同じ距離だがエム鉄道より安い運賃のJR東海で壱ノ宮に帰る途中である。  車内は少々混んでいて座りそこなった私は、買ったばかりの酒器を大事に抱え、人混み、特に女性に触れないように少しづつ移動しながら電車に揺られていた。  高校生の頃である、歳上の従姉妹の下着が盗まれたことがあった。災難だったなと思いはしたが、伯母が盗んだのは私ではないかと疑っていると聞いた時は不愉快な気持ちとなった。もちろん私ではない。 「失礼よね、盗むわけ無いじゃん。盗むんなら私のを盗むわよね」  姉の訳のわからない憤慨も、当時の私にはかえって心を傷つけたものだ。  時が経ち二十代前半の頃、その頃よく遊んだ友達の妹にもいきなり「私のパンツ返してよ」と言われたことがある。  訊けば干していた下着を盗まれたらしい、もちろん私ではない。あまりにもきょとんとした顔をしていたらしく、それで疑いは晴れたようだが、こちらとしては当然不愉快な気持ちになった。  近年では今年の三月末頃に夜道を歩いていたら、たまたま前を歩いていたOLらしき人に痴漢と間違われいきなり叩かれる始末だ。私が女性を避ける気持ちになるのは当然だろう。  アラフィフとなった現在、こんなところで痴漢扱いされたら社会的に死んでしまう、絶対間違えられないようにしなくては。  到着まであと数分、稲沢市を抜けて壱ノ宮市に入り、よく見る街並みを窓越しに見ながらもう少しだなと安堵したときだった。 「ちょっとすいません」 背後から女の声がした。  ふり返ると少しきつめの性格をしていそうな、けど綺麗な女が立っていた。開襟シャツに紺のスーツ姿から察するに仕事帰りのOLだろうか。 「私ですか」 「ええ、少し協力していただけませんか」 何か困り事かな。  極力女性に関わりたくないが、困っている人を見過ごすほど非情ではない。ええ良いですよと応えたあとすぐに後悔した。 「あなた私の物盗んだでしょっ」 よく通る声で、車内の人全員に聴かせるようにOLはそう叫んだ。
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