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 その代わりに、妙子は自分自身の夢を実現させることに努力した。すなわち、子供の頃から好きだった料理を、他人に振舞うことを生業にしようと試みたのだ。甚八は最初反対した。けれどなんとか説き伏せた。開店資金は、独身の頃から貯めていた妙子の貯金と、結婚した時から子供が生まれたらということで積み立てていた育児費を充てた。しかし妙子の不妊治療でそれらの貯蓄は目減りしており、妙子がオープンさせた「小料理屋タエコ」は実際に思い描いていた半分ほどの店舗面積で、十分な空間作りも費用不足から断念せざるを得なかった。    開店してもずっと、妙子の店の売上は振るわなかった。甚八の書店はそこそこ繁盛していたので、妙子は引け目に思っていた。店舗面積が狭く客の回転率も悪い。そして設備に投資できていないことも不調の原因だった。    しかし、そんな妙子に甚八はある夜、「経営手腕の違いや」と呟いた。その瞬間、妙子の中で何かが完全に弾けてしまった。今から思えばそれは甚八に対して、わずかながらも残っていた愛情だったのかもしれない。それから三年後に甚八は急逝したが、哀れんでくれる周囲とは対照的に、妙子は不思議なほど乾いた、静かな気持ちだった。涙も出なかった。    店から歩いて5分もかからない、アパートに帰着した。いつもの習慣で、帰宅するとまずは腕時計を外す。結婚の記念品として甚八と揃いで買った、ロンジンだ。本当はエルメスのペアウォッチが欲しかった。けれど甚八が、「あかん、革屋の時計はあかん。そりゃ時計専業のロンジンの方がええ。ロンジンにしよう」と言い張り、結局妙子が折れるかたちになった。    最初は不承不承だったが、身に付けていると、自己主張がそれほど強くないながらも上質で、整然とした機械としての美しさを湛えたその時計が気に入った。甚八が他界してから、甚八のロンジンは質屋に売ってしまった。二束三文にしかならなかったが、それでも置いておきたくなかったのだ。〝揃い〟でなくなったロンジンは、今や〝ただ私のお気に入りの〟時計になった。
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