輪廻

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 僕は彼らとの果てしない戦いの中、果たして成長しているだろうか。僕は同じ失敗は繰り返さないようにしているつもりだ。前回のミスは正す。必ず毎回新しい作戦を考え、実行する。しかしどこか、同じ所をぐるぐる回っているような感覚がする。時計の針になった気分だ。時間は直線的に進んでいるはずなのに、僕は何度も全く同じではないがよく似た時間を過ごしている。これからも同じなのだろうか。これからも僕は回り続け、そのサイクルに僕の子供や孫を巻き込むのだろうか。少し憂鬱になるが、深呼吸し、立ち直る。僕は次に勝つために全力を注がねばならない。  僕の走った後には高い砂埃が立ち、それが大きな直線を地面に引く。全速力で走り続けているが、僕は全く疲労を感じない。むしろ走っている間に凄まじい速度で僕の体は治癒していく。額のたんこぶも、右胸の火傷も、左手首の骨まで届く切り傷も。しゅううう、という音を立てながら目に見える速度で治っていく。そのために幼い頃から訓練してきたのだ。これは僕の才能であり、努力の結果であり、受け継いできた伝統なのだ。  もしかしたら、彼らに僕の敗北を覚えておいて欲しいのは僕が勝利した時のためなのかもしれない。僕が勝利した時、今までの僕の敗北を思い出し僕の努力を認め、初の敗北を深く噛み締めさせるためだろうか。でも、果たして僕らが勝利する日は来るのだろうか。僕にはそうは思えない。僕は父より二百十六にも及ぶ伝統という名のマニュアルを受け継いだが、その中に勝利した時の作法はない。大半が敗北の美学と、敗北から立ち直るための心構えで占められている。僕の友人の何人かは勝利時に機能する伝統を受け継いだ者もいるが、彼らにしてもそれは例外的な措置にあたるらしく、実際に勝利を経験した友人は存在しない。僕は毎回勝ちたいと本気で念じてから戦いに赴く。僕は勝利を切に願っている。願い続けている。こういうシステムなのだと諦めようとする僕の魂を毎度説き伏せ、重い一歩を踏み出す。しかし実際問題、僕が彼らに勝つことなどありえるだろうか。  僕が勝利を信じられないのと同様に、彼らもまた敗北をイメージする事が出来ないのだろうか。それは僕よりも幸運だと言えるだろうか。避けられない勝利。壊される事のない仲間の絆。僕と同じように彼らもこのサイクルを壊したいと考えているだろうか。
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