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本当は伊織に触れたくてたまらない。
「飯、こんだけじゃたんねーし」
二人でずっとベッドの中にいたい。
「食器も……買ってやるから」
けれど、今はとにかく一緒にいたい。
伊織はため息をつくと、バッグからスマホを取り出した。画面に指を滑らせる。
ジリリリリリ……
俺のスマホが鳴って、すぐに止まった。
「それ、私の番号」と言って、伊織がスマホをバッグに戻す。
「とりあえず着替えて買い物してくるから、必要なものがあったら電話して」
伊織が出て行くのがあと十秒遅かったら、俺の腑抜けたニヤケ顔を見られていた。
やっっったぁ――。
俺のスマホに伊織の番号を登録できることが、嬉しくて仕方がなかった。
八年ぶりに俺のアドレス帳に伊織の名前が加わり、俺はまた口元を緩ませた。
腹が鳴り出して、俺はうどんをかけこんだ。
食べ終わって薬を飲み、一息ついてようやく気がついた。
部屋が片付いている。
出しっ放しになっていた本や雑誌が棚に並べられ、脱ぎっぱなしになっていた服がなくなっている。ハッとして洗面所に行ってみると、洗濯物を入れている籠が空になっていて、洗い終わった衣類がきちんとハンガーに掛けられていた。
俺が寝ている間にやってくれたのか。
ふと、今朝の伊織の寝顔を思い出した。驚いたけど、嬉しかった。
伊織の寝顔を見たのなんて『あの時』以来か……?
俺と伊織の実家は『お向かいさん』。俺たちが四歳の時に伊織が引っ越してきてからずっと、一緒に育った。
いわゆる幼馴染だ。
小学生の頃の伊織は活発で、よく俺や他の男子に交じって走り回っていた。その頃の俺たちは『親友』で、男とか女とか気にしてもいなかった。
けれど、伊織は両親の離婚で父親に引き取られ、父方の祖父母の家に引っ越していった。
伊織が再びお向かいさんになった時、俺たちは十三歳だった。二年ぶりに再会した伊織は、俺の『親友』ではなくなっていた。
俺の知っている伊織は、髪は短く、奥歯が見えるほど大きな口を開けて笑い、いつも落ち着きなく動いて喋っていた。それが、髪は腰まで伸びて、あまり笑わなくなり、口数も少なくなっていた。
俺は伊織を『女』として意識し始めた。
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