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伊織ほど俺を知り尽くしている女はいない。きっと、俺以上に俺のことを知っている。だから、俺の機嫌を取るのなんて、彼女には容易いことだろう。
けれど、俺は伊織のことをあまり知らない。
インドア派で軽いコミュ障で、食べ物に好き嫌いはない。コーヒーはブラックしか飲まない俺と違い、ブラックもカフェオレも紅茶も何でも飲む。高校生までわさびが食べられなかった。部屋で一人でいる時は常に音楽を聴いている。
酒に強いのは知らなかったな……。
エレベーターの扉が開き、目の前に社長の姿を見た。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
俺が降り、社長が乗る。
「今度飲みに行こうか」と、社長が言った。
「来週、都合悪い日はある?」
「いえ」
「じゃあ、水曜の夜にしよう」
「はい」
扉が社長の爽やかな笑顔を覆い隠し、俺には苛立ちが残った。
伊織のことも、こんな風に爽やかに誘ったのだろうか?
誘われて、伊織はどう感じたのだろう?
社長の特集が組まれた雑誌を見た。デザイナーとしての才能はもちろん、経営者としても優秀で、その上イケメン。そんな男に食事に誘われて喜ばない女はいないだろう。
社長が簡単に社員に手を出したりしないだろうし、伊織も簡単に男に気を許す女じゃない。まして、今の伊織のそばには俺がいる。
そういう意味では不安や心配はあまりないけれど、伊織が俺以外の男と二人きりで食事すること自体が気に入らない。
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