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相川に求められているものをざっと計算し、シャワーの湯を止めて浴室を出た。
タオルの用意どころか、着替えも下着すらも先刻脱いだものしかない。
足先でそれを退け、濡れた足でフローリングを歩く。水の跡が軌道を作る。
髪から水を滴らせたまま、元のソファに腰を落ち着けた。やや高い室温が煩わしく不快だった。
9時03分。
ゆうるりとしていられる時間ではなかったが、速やかになにかをせねばならない時間でもなかった。
濡れた手のままで今日の俳優を確認する。
茶色い髪にぱっと見開かれた眸。
何も考えていなそうに弛んだ口元。
指先で弾いて書類を机上に戻し、腰を上げた。
ついでにクロゼットからタオルを取り出し、乱雑に髪を拭く。拭きながら階段に歩を進め、2階へ降りた。
壁の上部に小さな明り取りがあるだけの真っ白な部屋は、昼なお暗い。
アルミを基調としたパイプベッドと建付けのウォークイン。そこから可動式の白いチェスタを引き出し、ベッドサイドに置く。
引き出しの、上から順に必要なものが入っていることを確認する。それから一歩後ろに引き、ベッドサイドに侘しさを覚えた。階下へ下り、廊下の観葉植物を2階へ運ぶ。先程侘しさを覚えた場所に置いてみた。人並みの生活感が部屋に備え付けられた。
月一で交換されるリースの観葉植物は植え込みのあたりに隠しカメラと盗聴機が設置されている。それに何か支障を感じるでもないからそのまま放置している。ただ、一度試しに手を振ってみたりマスターベイションしたときには相川に頭を叩かれた。
自分の私生活が金になるとは思わない。記録されているからと言って自分の生活は何か変わるわけでもない。
照明を点ける。
点けて、消す。消して、再び点けた。
なんとなく明るさを帯びた『スタジオ』。
間の抜けた面の『俳優』。
定点カメラの位置を決めて、消灯する。
11時からの撮影は整った。
間をおかず階段を下る。
1階へは立ち寄らず、すぐに地下へ向かう。
暖房の効かないキンとすえた冷たさが裸の下腹部を舐め上げる。
コンクリート打ちっぱなしの地下。
ただ広いだけのその場を確認して、ビニルシートの所在を思い出そうとした。
前回は想定外が起こった。下手を打った相川の『部下』が加減を間違えた。生き物は物に変わり、それを廃棄するためにビニルシートを使った。
以来、購入していない。
納品もされていない。
予備を考える隙もなく、インターフォンが頭上で鳴った。
眉のひとつも動かない能面の顔が地上へと繋がるコンクリートに足を踏み出す。
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