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 夜が来る。  特に何が起こる訳でもない。だから恐怖に追い付かれていても気が付かない。怖いほどに濃い夕焼けは、もう誰も待ってはくれない。  身体は随分縮んでいた。おぼろ気な記憶のなかに、この色褪せたTシャツを着た少女の姿が垣間見えたが、それはノスタルジックに誇張された妄想なのかもしれない。或いは、美しすぎる夏の背景に抱かれた安息。  意識ははっきりとしており、私は私の思うままに手足を動かせた。  暗さに目が慣れると、自分の立っている場所が浮き彫りになる。黒く縁取られた葉の形、遠くで悲しげな(ひぐらし)の声が霞んでゆく。それらは"静寂"としてひとまとめに刻まれた。  砂利の混じった土の上、振り返ると――――身体は硬直する。  意味不明に佇む者がいた。  暗さに溶け込み、私を見つめているように思えた。人ではない。動物でもない。呼称するとしたら、物質。だがそれは確かに、私を見つめていた。  額の汗は止まらない。拭うこともできず、無機質な物体へと視線は集中した。  そして物体(それ)は少しずつ、私を終始見つめながら、底無しの暗闇に溶けていったのだ。  長い間動きは止まったままで、息すらもしていなかったように思える。深い意識のみ働いていた。  次に目に入ったのは、人気のない廃れた神社。ぼろぼろに朽ちた柱、賽銭箱は苔むしている。  少し歩く。するとまた、蜩の声が微かに戻ってきた。  ――――自分はここを知っているような気がする。  微量ではあるが、既視感を覚える。五感が知らぬ間に記憶と繋がっている。だが肉体は、まだこの世界を疑っているのだ。    夜を歩けば解るのだろうか。  何処か、何時か、どうしてか、というもろもろの疑問。意に反して暗闇から目を背けた、が。  無情にも夕暮れは終わる。藍と赤の混じった空が、感傷も鈴の音も連れ去り、暗闇を創りだしてゆく。  余韻も、残さない。  石段を降りるか降りないか。()の私なら前者を選んでいただろう。  そう。身体(これ)は少年の私なのだ。  ――――蟋蟀の旋律。ともに、後戻りは出来ないと分かった。  探さなければ。私の帰る場所を。  この町はもう、私の知っている町ではない。  少年時代の畏怖の記憶である。常闇の世界を恐れた自分の記憶。かの夏の、真昼の明るさに掻き消されていた、もう一つの物語。
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