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「起きなさい、お寝坊さん。起きて、また立ち上がるの」
「手厳しいな。こんな老いぼれに、まだ立ち上がることを要求するとは……」
されど嫌な感覚はしなかった。いや、寧ろ胸には、幸福感が募っていた。
愛しい彼女と出会い、こうして話し、懐かしい感情を胸の内に膨らませることができたのだ。もう二度と、手にすることができないはずのその時間は、私にとって大きなもの。これを幸せと言わず、さて、なにを幸せと言うのだろうか……。
「愛しているわ。いつまでも……」
ひらりひらり。
軽く振られる片手。別れを告げる動作にしてはあまりにも力の抜けた動きだ。しかし、嫌いではない。
「ああ、私もだ……」
笑い、しわくちゃの手をあげることで、彼女に応えた。満足げに緩んだ表情が桜の雨に消されるのを、ぼんやりと見つめ──そこでようやく、私は閉ざしていた瞼を押し上げる。まるで、長い眠りから、覚めるように。
開かれた視界の中にはまず、満開の桜が確認できた。そしてそれを背後に覗き込んでいる、小さな子供たちの顔も。頬を寄せあい、くっ付くようにして肩を押し合わせている姿は、なんとも言えず愛らしい。
これが親バカ……いや、おじバカ、というものなのだろうか……。
「あ、おじーちゃん。目を覚ました」
「お花見中、ずぅーっと寝てたから、お母さんたち心配してたよ?」
純粋な瞳で、無垢な笑みを浮かべ、引っ張り起こしてくれる子供たち。そんな彼らに謝罪を一つ入れ、私は痛む上体をなんとか起こした。「あいたたた」とあがる声は、我ながら情けない。
そんな私に、ようやっと気付いたようだ。安堵したように微笑んでくる娘と息子に向かい、「おはよう」と一言挨拶しておく。そうしてそのまま、自然と見上げる青空。それは、ああ、なんと眩しいことか……。
「……また、置いてかれたなぁ」
ドキドキと、高鳴る胸に片手を当てて一言。目尻を細め、口元をゆるめた。懐かしい感情に、喜びを表すように──。
愛しい君へ言葉を贈ろう。
私はここでまた、君に、恋をしたみたいだと……。
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