43人が本棚に入れています
本棚に追加
※※※※※※※
「ハリーちゃん先生、元気でな!」
「その呼び方やめろって言っただろうが」
初々しい卒業生が、陽介の名字の一部をもじって付けたニックネームを、大声で言いながら卒業証書の筒ごと手を左右に振った。陽介は眉間に皺を寄せつつ口許は笑っていた。
樹が卒業してから、 4 回目の卒業式が過ぎた。そして、先程 5 回目の卒業式が終わったところだった。
職員室に戻り、普段はあまりしないネクタイの結び目を緩めながら椅子へドカッと座る。すると、まだ1年目の男性職員が、「良い式でしたね。感動しました」と涙を軽く目に溜めながら言い、お茶を出してくれた。
礼を言って、陽介はコップに手を差し伸べた。その時、机の引き出しの中から小さなバイブ音がした。スマホだ。陽介は慌てて引き出しから取り、スマホの画面を見る。
ラインの通知だった。
ーー先週の休みに、一晩だけ関係を持った男からだった。
(こんな時間に送ってくるなよ)
陽介は眉をしかめ、返事をせず、すぐに画面を消して引き出しに戻した。
最近来る連絡といえば、仕事関係か、この男のような行きずり関係のものが殆どだった。
樹とは、もう連絡を取っていない。
熱いお茶に息を吹き掛け、ズズッと空気ごと飲み込む。新人が入れたお茶は、苦味が強かった。
(もう、5年も経つんだな…)
樹が卒業してからの歳月を思って、陽介は少しだけ目を伏せた。
5年前の卒業式後、約1年間は樹からの連絡が頻繁にあった。会って食事をしたり、体を繋げたりすることもあった。
陽介にとって、それはあまりにも予想外で、常に面食らった状態だった。けれど、それらは自然で、日常に溶け込んであり、陽介は思わず、もしかしたらこのまま関係が続いていくのかもしれないと思ってしまった。
しかし、2年目になり、アルバイトを増やしたと言って連絡が少なくなっていった。それに比例して会うこともなくなり、3年目には連絡もなくなった。
やっぱりな、と陽介は思った。
樹は気づいたのだ。
自分が世界だと思っていたのが、ただの箱庭に過ぎず、もっと綺麗に輝くものが目の前に広がっているのだと。
陽介が自分から連絡することは、なかった。
耀かしい未来から、樹を引きずり下ろすことだけは、したくなかった。
閉鎖空間しか知らずに、まだ何の判断もできない樹と、関係を持ってしまった自分への戒めだった。
最初のコメントを投稿しよう!