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 人声で溢れる居酒屋でも、デリケートな話はやはり小声になる。二見と赴任地が一緒になったのは今回が二度目で、一度目は本社勤務の時だった。そこで、彼と彼の恋人の、控えめに言っても修羅場、というやつに関わったことがある。二見の当時の恋人は総務職の男で、彼の認識では美しい恋人が乗り換えたのは、入社一年の新人ということになっているはずだ。あの時、考えもしなかったカムアウトを受けた二十四歳の乾にとってそれは多少の驚きではあっても他人事で、いつか自分が同性に惹かれる時が来るなんて想像できなかった―――駅前のコンビニ店員の中で最も魅力的な人物が、恋人になることも。 「俺の問題、かな」  それだけ答えて、乾は鶏軟骨の皿の半分だけに、種を落とさないよう注意しながらレモンを絞る。果汁のついた指を舐めてそのまま軟骨を一つ摘み、こり、奥歯で噛み締めた。 「びびったんだ」 「……ん?」 「慧斗くんに合鍵渡されて、びびった?」 「ん、なんで」 「びびってないんなら、してあげなよ。もしできないなら、ちゃんと言ってあげなよ。このまんまだと慧斗くんが可哀相だよ」  乾の答えを、弱気から出たものと理解したらしい。彼がよりシンクロできるのがヘテロの後輩でなくその恋人なのは、仕方のないことだった。  怒ったように睨みつけてくる二見の鼻先に人差し指を突きつけて、 「あのさ、ケートって呼ぶな」  まずは呼称の訂正を求める。それから不満げに唇を尖らせる相手に、からからになったくし型レモンを摘み上げて見せた。
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