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五
あれから幾度、桜花を見たのか思い出せない。
弥之介は、徳利から直接酒をあおった。
頭の中がどろりと澱んで、生きるとか死ぬとか、もはやどうでもいい。
だが、酒の力をもってしても、忘れられないことはある。
桜花は、きらいだ――
鮮血に濡れた紅葉の手が、ぶるぶると震えている。
絶え間なく散り、舞い落ちる紅い花びらが、ぱちぱちと音を立ててはじける。
そうじゃ無い。
舞い上がり煌めき落ちる朱い欠片は、桜吹雪ではなく、火の粉だ。
いつしか辺りは、紅蓮の炎に包まれていた。
燃えさかる炎の中で、俺が刺したのは、母を斬った男。
そして――俺の、父だった。
思い出せない。
思い出したくない。
だのに……
あの感触が、血の臭いが、忘れ去っていたはずの記憶を蘇らせた。
耳障りな金切り声で、口汚く罵る。いつもの、優しい母上のようじゃ無い。
耳を塞ぎたかった。
と――いきなり目の前で血がしぶき、朽ち木のように母が頽れて。
驚き駆け寄ろうとした拍子に行灯が倒れ、火が障子に移って燃え上がったのだ。
「や、のすけ……?」
驚いたような、どこか間の抜けた声。
男には、俺に対する害意は無いようだった。
俺を火事場から連れ出そうとさえしていたらしく思える。
でも、母を斬った。
そのことしか、頭に無かった。
父なんかじゃない。母を殺した、けだもの。
目の前にあるのは、ただ一面の、赤──
「つよい、こだ」
震える指が、頬に触れる。
「きっと、おまえなら、ひとりでも、だい、じょうぶ」
切れ切れにかすれた声音が、不思議に優しく響いた。
「だから…………」
すう、と息を吐き、それから絞り出すように。
「いき、な、さい――」
その先の記憶は、無い。
前後の状況が、よく分からない。
肝心なことは、何一つ思い出せない。
二親の顔も名も、結局分からぬままだ。
それでも……
あの感触を、血の臭いを、関口の心の臓から溢れ出た血潮が己の手を染めた時、思い出してしまった。
その瞬間から、刀を握ることが出来なくなった。
いきなさい。
行きなさい。
イキナサイ。
生き──
事情はどうあれ、親殺しなどあってはならないことだ。
己の存在自体を否定するに等しい。
にもかかわらず俺は、未だのうのうと生きている――
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