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自分の短編が増えていき、また別のことに気づく。
小説とは、他人が読むものなのだ。
僕が僕の理想を追い求める過程で生まれる文章は、果たして小説だろうか。僕が僕のために書く言葉。それは他人から見た時に物語たりうるだろうか。
そうであればうれしい。
そして、僕は今までの読書経験からいくつか自分のために文章を書いているように見える小説家を知っている。
町田康、舞城王太郎、トマス・ピンチョン、円城塔。
彼らの文章からは読者の視線を感じない。自分の血肉を擦り付けて書いた文章がどう他人に映っているのか気にしていない。気にしているのかもしれないが、他人の存在によって自分の文章を変える意思がない。小説を書くことの幸せを彼らの文章から感じることが出来る。
何がそれを可能にしているのだろう。僕は、彼らのようになりたい。彼らみたいに、楽しく小説が書きたい。その先に僕の理想があるのであれば、それが一番の幸せだ。
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