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「――兄上? どおしたの、兄上?」
「…!?」
芽郎左は、そんな妹の声で不意に我に返った。
見れば、目の前には白粉に真っ赤な紅を引いて美しい化粧を施し、眩ゆいほどの白無垢に角隠しをかぶった妹の十六夜が怪訝な顔をしてこちらを見つめている。
「高砂や~この浦舟に帆を上げて~この浦舟に帆を上げて~」
徐々に聴覚が戻ってくると、がやがやと騒めく仄暗い大座敷の中には、酔っぱらった誰かの謡うそんな能の曲『高砂』の一節が心地よく響いてる。
そうだ。自分は今、妹の婚礼の席にいるんだった!
心がどこか違う所へ飛んで行ってしまっていた芽郎左は、今更ながらにそのことを思い出した。
「どうしたの、兄上? そんなぼうーっとしちゃって?」
「ん、あ、いや、なんでもない。いや~めでたい。めでたい。ささ、どうぞ、婿殿」
妹に問われた芽郎左は、右手に酒の入った赤い漆塗りの屠蘇器の重みを感じ、やはり今更ながらではあるが妹の婿へ酌をしに来たことを思い出すと、誤魔化し笑いを浮かべながら義弟の杯へ酒を注いだ。
「ありがとうございます。どうぞ、兄上様も今宵は存分に飲んでください」
綺麗に月代を剃り上げ、髷も形良く整えた美男子のその婿は、律儀さのよくわかる声でそう言うと、返杯に屠蘇器を持って芽郎左へも酒を勧める。
「あ、いや、酒はちょっとやめとくよ。この後、少々約束があってね」
だが、彼は手のひらを前に出してそれを拒み、屠蘇器に入った白酒の如く、どこか言葉を濁す感じでそう答えた。
「約束? まあ! かわいい妹の婚礼よりも大事なご用がおありなの? まさか、女子の所へ行くんじゃないでしょうね? あの剣術馬鹿の兄上がいつの間にそんないい人を……?」
「い、いや、誤解だよ。ぜんぜんそんなんじゃないから。相手は男の友人だし……てか、剣術馬鹿は余計だ。その友人との大事な約束があるんだよ……そう。古い友人とのね……」
何やら大きな勘違いをし、目を真ん丸くして詰め寄る興奮気味の妹に、首をぶるぶると横に振って即座に否定する芽郎左だったが、最後の方はどこか感慨深げな色をその瞳に浮かべ、月明かりに白く浮かぶ庭の桜の木を振り返って見やった。
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