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一方、少し時を遡って、その日の夕刻……。
芽郎左が約束を交わした友人・芹野貞蔵も、ほど近くにある白楠という町で思いもよらぬ大きな誤解を受けていた。
「武州浪人、芹野貞蔵。剣術修行のため諸国浪々中の身とな……」
一面、暖かな橙色に染められた代官所の白洲、大小二本の刀も取り上げられ、敷かれた粗末なゴザの上に丸腰で正座する貞蔵に対して、その前方、一段高くなった屋敷の縁側から紋付袴姿の侍が厳めしい口調で問い質す。
「いかにも嘘臭い肩書だな。昨今、この近隣の村々では侍崩れの野党が出没しておる……その方、その野党の一味であろう!」
「大きな誤解にござる! それがしはまこと花形月影流の印可(※修了証)を得た廻国修行中の剣客。となり町の花形道場に問い合わせていただければ、すぐに真実と知れまする!」
身に覚えのない盗賊の疑いをかけられ、貞蔵は思わず身を乗り出して大声で抗議する。
「ええい! 控えよ!」
「おとなしくせい! 盗人の分際で!」
だが、左右に控える下っ端役人が手にした長棒をすぐさま突き出し、首元を抑え込まれた貞蔵は地べたに這い蹲ることとなってしまう。
「うぐぅっ…」
その理不尽極まりない無礼な仕打ちに、貞蔵は奥歯をギリギリと噛みしめながら、縁側に立つ神経質そうな初老の士を上目遣いに睨みつけた。
だが、彼の身の内を支配する怒りは無実の罪を着せられたことよりも、かように嫌がらせが如き足止めを食らわせる、不合理な天の采配に対しての憤りの方が強い。
やはり一年前に交わした芽郎左との約束を果たすため、諸国武者修行の旅より久々に帰還した貞蔵であったが、すぐとなりにある天領(※幕府領)の町・白楠まで来たところで、この地の代官・出羽仁左衛門によって捕らえられてしまったのである。
「フン。花形道場といえば、江戸にまでその名が聞こえた名門の流派。その方のような下賤の輩に印可を授けるなど到底信じられぬ……大方、この印可状もそなたが作った偽物であろう。嘘を吐くならもちっと上手い嘘を吐くべきだったな」
貞蔵の訴えなどまるで聞く耳持たず、代官は彼の提出した印可状をひらひらとぞんざいに扱いながら、むしろその容疑をさらに強めてゆく。
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