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「……おかあさん、なんで泣いてるの?」
春華にコートの袖を引っ張られ、私は我に返った。
そして夜空を見上げる。月明かりの代わりに落ちてくる、小さな光。ゆっくりと舞い降りてくる綿雪は、頬に張り付いた瞬間、つるりと溶けた。
私は掌で涙と雪の雫を拭うと、手に持っていた傘を差す。
春華も真似をするように、自分の傘を差した。
「……何でもないよ。桜が降ってきたのかと思ってびっくりしちゃっただけ」
「えー、おかあさん、桜が咲くのは春なんだよ。こんなさむい日に咲かないんだよ」
そうだね、と言ってまた歩き出す。今夜は雨の予報が出ていたが、良樹は今朝会社に行く際に傘を忘れていた。雨ではなく雪になったようだが、それでも傘は必要だろう。もうすぐ駅に着くとメールが来ていたから、先に駅に到着しておいてあげたい。
歩きながら傘を傾け、もう一度夜空を見上げる。
風に揺れ、ふわふわと雪が舞う。それはまるで昔見た、あの駅前の桜のように見えた。切られてしまう直前の春、私はこれで最後なのだと思いながら、あの木の下で桜吹雪を浴びた。白い斑点が世界を覆っていた、あの日の光景が鮮明に呼び起こされた。
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