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冷たい風が頬に触れたかと思うと、俄かに視界が明るくなった。
風が舞う。遠くに見える駅前のロータリーがぼやけ、不意に暗闇が輝きだした。空を見上げるといつの間にか分厚い雲が立ち込めており、月明かりの変わりに無数の光が視界を覆っている。
気が付くと、私は泣いていた。
〝人や環境は変化していく〟
――何かが変化していくことに、私は恐怖を抱いていた。
自分も他者も、この街も。全てのものに現状維持という概念は存在しない。どう足掻いても、世界は刻一刻と変わり続ける……それはとても無情で、恐ろしいことのように感じた。
でも、そうじゃない。
違うということを今、はっきりと感じていた。
何故なら今、私はこの光を見てあの日々のことを思い出したのだから……。
*
小高い丘の上に、目にも鮮やかな淡紅色の桜が咲いていた。
都心から電車を乗り継ぎ五十分。そこから送迎バスに揺られて二十分。この場所――この丘から見える世界は、さながら社会から隔絶された桃源郷のようだ。
人間の出入りを拒絶しているかのような鬱蒼とした山々、公道に沿って綺麗に畝が立てられた畑、ぽつりぽつりと点在する民家。今通ってきたアスファルトの道が見えなくなる果ての果てまで、人の影は見当たらない。一台の古ぼけたトラックだけがその気配を残すかのように、広い路上の隅に取り残されている。
人間の最期というものは、こんなにも切ないものなのか。
ふとそう思う。そして空を見上げた。視界は淡い赤の点描に包まれ、より一層ここが非現実的な場所のように感じさせる。病院をぐるりと囲んだ桜の木々。それはどれも立派なもので、重々しい花冠を身に纏い世界をわざとらしく彩っていた。
デジカメを取り出し、その花弁の写真を一枚撮る。そして私は病院へと向かった。
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