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弁明しようとしたが、その前に奈々はぺこりと頭を下げ、「ありがとうございました」と大声を出した。店員モードに切り替わったようだ。
カイトが速人の顔をにやにやと眺めてくる。それを無視して、速人は店の引き戸を開けた。外は暗くて、肌寒い。日中はまだ夏を引きずっているに、夜はすっかり秋の顔だ。数歩外を歩いたところで、後ろから名前を呼ばれた。奈々の声だった。振り返ると、彼女は切羽詰まったような表情を浮かべて、戸の前で佇んでいた。大事なことを告白しそうな顔だ。
「また、来てくださいね」
軽く会釈をしたと同時に、体の向きを変えて奈々は店内に入ってしまう。そんな一言を言うために、店から追いかけて自分を呼び止めたんだろうか。拍子抜けしてしまう。横に立っていたカイトが肩を揺すって笑っている。
「どう見ても好かれてるな。チャンスだな」
「チャンスってなにが」
「童貞を捨てるチャンス。お望みの変化だ」
思わずカイトの顔を凝視した。おちゃらけた様子は微塵もない。鋭さの宿る目に、心を見透かされているようで、自分から目を逸らした。カイトのことが怖いと思った。自分でも言い表すことができない複雑な感情を、認めたくない汚い部分を、こうも簡単に口にしてしまうカイトが不気味だった。それなのに、安堵感に満たされた自分がいる。
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