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◇
ちひろの実家では家族が夕食をとっていた。リビングのテーブルには、ちひろと息子の健太、それにちひろの両親が座っている。
「こんなに大勢でご飯を食べるなんて久しぶりだなぁ……」
父親の隆史がどこかうれしそうに言った。
「あなた、そんなのんきなことを言ってる場合じゃないでしょ。ちひろ――あなた、このままここにいるつもり?」
母の瑤子が出戻りの娘に厳しい目を向ける。
「いいでしょ。部屋も空いてるんだから」
唐揚げとキャベツを箸で口に運び、ちひろが頬をモグモグと動かす。
「祐樹さんとちゃんと話し合った方がいいんじゃないの?」
夫との対話を促す母を父が「そうせかさなくていいじゃないか」となだめる。
「久しぶりにちひろが家に戻ってきたんだ。好きなだけ家にいればいい」
「そういうわけにはいかないでしょ。こういうのって時間を置くほど、逆に互いの気持ちが離れていくんだから……だいたい、いい年をした女が昼間っから家でゴロゴロして……あんた、太ったんじゃないの?」
唐揚げをパクパクと頬張る娘に母が冷たい視線を向ける。
「ゴロゴロじゃないわよ。ちゃんと仕事してるわよ!」
「あんた、この前パソコンでゲームをしてたじゃない」
「あれはリサーチも兼ねて――」
営業をかける先のゲーム会社がどのような製品を作っているのか調べるのは大事な仕事だ。だが、それを母に言っても理解してもらえないだろう。
「ええと、こういうのをなんて言うんだっけ。そう、〝こどおじ〟よ」
パチンを手を打つ母に父が首をかしげる。
「なんだい、こどおじって」
「子供部屋にいつまでも住んでるおじさんだから〝こどおじ〟。ネットで言われてるんだって」
「へー、おもしろいことを言うなぁ」
父はどこまでものんきだ。というか、この穏やかな父でなければ、性格のきつい母とはやってこれなかっただろう。
「私はおじさんじゃないわよ!」
「じゃあ、〝こどおば〟ね。とにかく祐樹さんと話し合って、これからどうするのか決めなさい。別れたいって言うなら、それもいいんじゃないの」
「おいおい、いきなりそんな……」
父があわててなだめる。
「あなたは黙ってて!」
「お父さんは口を出さないでよ」
母娘から言われ、父が「はい……」と肩を落とす。
「で、裕樹さんから連絡はあったの?」
母に訊かれ、ちひろは肩をすくめる。
「さあ、電話もLINEもブロックしてるから」
娘の言葉を聞いて母が気色ばむ。
「それじゃあ、裕樹さんだって謝りたくても謝れないじゃない」
「いいのよ。いくら謝られようと許す気はないんで」
母が苦い顔をする。
「ちひろ、あんたって昔から外面はいいけど、身内には手厳しいでしょ。裕樹さんにきつく当たったりしてたんじゃないの?」
「なによ。それじゃまるで私が悪いみたいじゃない。お母さんはどっちの味方なのよ」
「物事には原因があるって言ってるの」
「あっきれた。浮気男の肩を持つわけ? 女の敵は女って言うけど、ほんとだったんだ」
顔色を変える娘に母がため息をつく。
「私はあなたの味方よ。ただ、せめて話し合いをしなさい。連絡もできないんじゃ話し合いにもならないじゃない」
「いずれね。今はあいつの顔も見るのも、声を聞くのもうんざり」
「子供の前で父親のことを〝あいつ〟なんて言うのはやめなさい」
母にたしなめられ、ちひろがきっとまなじりを吊り上げる。
「浮気男をあいつって言って何が悪いのよ」
テーブルを挟んで言い争いをする母娘を、息子の健太がぼんやり見ている。隆史は孫に声を掛けた。
「健太、ちょっと向こうでおじいちゃんとゲームでもやるか」
「うん!」
食事を終えた孫を椅子から下ろし、テレビの前に連れて行く。
とにかく、と母の瑤子が言った。
「この家にずっといるつもりなら、食費ぐらい入れなさい。あんたが食べてるそのお肉だって、私がスーパーで買ってきたのよ」
唐揚げを口に運ぶちひろの箸が止まる。テレビの前で孫とゲームをしていた父が「いいじゃないか」と言った。
「食費ぐらい。今はちひろだって厳しいんだ」
「そんなことを言って、ズルズルと歳をとって50歳とか60歳になって、本当に〝こどおば〟になったらどうするのよ」
母は子育てをしながら地元のアパレルショップでパートでずっと働いていた。自立した女の走りのような存在で、娘がどんな事情だろうと容赦しない。
「……わかったわよ。ちゃんとお金を入れる。それでいいでしょ」
ちひろはため息をついた。
小さな子供がいるので会社勤めはできない。CG製作の仕事をできないか、営業メールを出しまくっているが、色よい返事はまだもらえていない。一刻も早く稼ぐ手段を見つけなくては。
◇
キーボードのエンターボタンを押し、ちひろは疲れた息をついた。
(これで20社目……今日はこのぐらいにしておくか……)
その夜も営業メールを送った。まだ良い返事はもらえていない。個人のフリーランスは信用が低いし、最近は格安で仕事を請け負うスタジオも増えていた。
(……個人でやっていくのは限界があるのかな……どうしよう……このまま仕事がなくなったら……ああ、弱気になっちゃダメ……)
なんとはなしにブックマークから「Therapist Tomoya」のサイトを開く。それは彼女が愛用する女性向け風俗のサイトだった。以前、夫の浮気でムシャクシャして利用したことがあった。
(うん?……)
サイトのデザインが大幅に変わっていた。黒を基調したバックの中に「acquario(アクアーリオ)」という青い文字が浮かんでいる。
(なんか変わってる……)
「セラピスト」と書かれたメニューボタンをクリックすると、顔立ちの整った美形の男たちの写真が並んでいた。客の女性に性感マッサージを施術する男性セラピストたちだった。
(なんか増えてるんですけど……)
以前は所属セラピストは一人だったが、しばらく見ない間に事業を拡張したらしい。
(智也の写真がない?……)
事情はわからないが、在籍セラピスト一覧から消えている。
(もうセラピストは辞めちゃったのかな……)
もともと智也は医学部に通う学生で、学費を払うためにセラピストをやっていたので、あり得る話だった。
サイトを閉じようとしたとき、右隅のバナーが目に入った。
《新スタッフ募集のお知らせ》
バナーをクリックすると、人員募集のページが表れた。
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事業拡張につき、新スタッフを募集
HPの更新など、在宅でできる仕事です。
女性向け風俗にご興味のある方、
どしどしご応募ください!
ご応募の際は下記求人申込から、
「スタッフの応募」でご連絡ください。
条件等、詳細をお伝えします。
東京都公安委員会届け出済み
無店舗型性風俗特殊営業
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ちひろはじっとその文字を見つめた。一時期、女性向け風俗にハマったことがあったので、客が何を求めているのかはだいたい想像がついた。
(HPの更新とかなら私の得意ジャンルだし、これならできるかも……CGの仕事はやるにしても、収入のあては多い方がいいし……)
もちろん、大好きなセラピストの智也と、仕事とはいえ一緒にいられるかもしれないという小ずるい計算がなかったかと言えば嘘になる。
しばらく考えた後、ちひろはメールフォームを開いた。
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