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<田倉の自室にて>
『タクラサン。ヨシキ様の食が細くて困っています。アドバイスありますか?』
文明の利器。飛行機で5時間の距離だろうが地球の裏側だろうと、ネットを介せば時差は霧散し瞬時に繋がる。まさか自分がこのようなものを使う日が来るとは。桜沢の部下であり、まったくもってヤクザに見えないネオが設置していったパソコンの前に座るのにも少し慣れてきた。
ただこのカメラはどうも気恥ずかしい。自分の顔がどのように映っているのかあまり考えたくないからだ。対峙している相手が容姿端麗であるだけに。
「もともとあまり召し上がる方ではありませんでした」
『お粥ばかりです。たくさん美味しいものがあるのに』
「野菜はお好きでしたよ。野菜炒めをよく食べておられた」
『何か食べたいものありますか?と聞くと。「粥と野菜炒めがいい」しか仰りません。肉や魚を入れるにも限界がありますから』
体力は必要だ。特に怪我の療養中となれば尚更のこと。本当のことを言えば自分が出向いて身の回りの世話をしたいところだが、それは不可能だ。権田の屋敷を取り仕切り、それを実乃里に叩き込んでいる今、ここを離れるわけにはいかない。それにオヤジさんの世話を誰かに任せる気はないのだ。背中を流し、椿油を帝釈天に塗り込む権利を誰にも渡すわけにはいかない。
背中の傷が僅かに引き攣れたような気がしたが、気のせいだと思いなおす。時たま思い出したかのように存在を主張する引き攣れとも長い付き合い。これがある限り、私は権田に留まることを許されている。その証である背中に右手を回すとモニターの向こうで閃がほほ笑んだ。
『タクラサン、かゆい?』
思わず唇が緩む。
「そうですね、少し」
『ヨシキ様は歩く速度も速くなりましたし家の中は杖がなくても大丈夫です』
「それはよかった。飲茶のような一口で食べられるものがいいかもしれません。
レモン水と同ように好まれたのは梅シロップのソーダ割りです。レシピをあとでメールしましょう。我々が何か言うより晧月さんから食べるように言ってもらうのが一番かと」
『そうですね。月光様にお願いいたします』
閃は「大弘会とのビジネスは滞りなく満足のいく結果を得ております」と結んだ。ビジネスライクな時、閃が浮かべる表情は冷たいものに変わる。私はその顔を見て安心するのだ。このような者がついているのなら問題はないだろうと。
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