逃げた兎

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「大丈夫か?しんどかったら別の日にしたっていいんだ。俺は毎日暇なんだし」  今朝から閃は顔色が良くない。『少し熱っぽいだけです』しか言わないが気分がすぐれない様子に心配になる。ずっと俺に付き添って病院にいたから余計な菌を貰ってしまったのかもしれない。 「病院のせいかな」 「大丈夫です。そのうち治ります」  青さんの運転する車の助手席には赤さんが座っている。青い狼、赤い狼……相撲取りみたいだと思うが言ったら怒られそうだからやめた。呼び名であって本当の名前じゃないかもしれないし。  赤さん、青さんと俺が呼びかけても表情一つ変えないソックリの顔。全然見分けがつかない双子ちゃんだ。「ちゃん」がふさわしくない強面だけど。  偽メールで呼び出された俺が行くはずだった横浜のホテル。斉宮が手をまわして接触した狼さんが閃と双子ちゃんらしい。斉宮と話したのが赤さんだったのか青さんなのか定かではない。どちらでもいいことだ。  俺たちが向かっているのはデパート。そごうのデパ地下で開催されている「京都物産展」を覗きに行くところだ。それほど京都に興味はないけれど、なんとなく懐かしいと感じたら行ってみたくなった。日本に帰りたいわけじゃないが、日本のアイテムは心が和む。  コウがよく飲むズブロッカは日本の餅菓子の味だと閃に言ったことがある。それを覚えていたのか物産展を聞きつけて教えてくれた。桜餅を食べながらズブロッカを飲む。そんな馬鹿なことをしているコウを見てみたいと思ったら急に行きたくなった。いつものように部屋でのんびり過ごすはずだったが急に出かけることになったのはそういうわけ。 「閃、引き返そうか?」 「ヨシキ様、大丈夫です。この程度で使い物にならない私なら、とっくの昔に消されています」  あっさり言う言葉に時々ドキっとする。タマをとったとられたとなんていう言葉はヤクザの世界に身を置いていれば聞こえてくる。とはいえ抗争は俺の知る限り一度もない。小競り合い程度はあっただろうが俺はそこから離れていたし興味もなかった。  そんな日本と明らかに違う香港の裏社会。特に閃は香霧のところにいたようだし俺の知らない世界の中でずっと生きてきたのだろう。だからサラっと怖いことを言って俺を驚かせる。 「長居はしないよ。人込みにしばらく行っていないから人に酔うかもしれないし」 「人に酔う?」 「あ~具合悪くなるってことかな。人・人・人でめまいがしたり胸がむかむかする。車酔いと一緒かな」 「私はしたことがありません」  だろうね。人に酔ったり乗り物に酔って使い物にならなかったら、それこそ大事だろうし命にかかわるかもしれない。とはいえ閃を含め3人が俺のガードについている現実を見れば、呑気にフラフラしていい身分じゃないことぐらいわかる。
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