あの春の先生

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 それから僕は目立たない一生徒に戻った。受験勉強の事だけを考えて、気を紛らわせた。  その間に先生のお腹はどんどん大きくなっていった。女子生徒はきゃあきゃあ言いながら、先生のお腹を優しく触る。  公民の高橋と結婚したんだという。野球部の監督。脳みそまで筋肉で出来ていそうな、僕と正反対の男。あの時には、先生はもう高橋のものになっていたんだ。  ――先生はもう怒鳴らない。時折聖母のように優しい顔をして、大きなそのお腹をなでる。僕らの卒業と共に退職すると聞いた。先生は、高橋だけのものになるんだ。  そして卒業式、桜は満開に花開いた……。 「……五十嵐」  桜の木の下でクラス写真を撮って、みんなはそれぞれに最後の時を惜しんでいた。  そんな中、先生が僕に声をかける。信じられないぐらいに大きくなったお腹を、両手で支えるようにして。 「あたし、あんたにお礼を言わなくちゃいけない。……ありがとうね。五十嵐のおかげで、あたし自分の高慢さに気づけた。生徒にバカにされないように、あたし必死だったの。でもそんなの、ただの虚勢だわ。あたし、駄目な教師だった……」 「そんな事ありませんよ」  先生が言い終わらないうちに、僕は微笑んだ。あの日以来、久しぶりにまっすぐ、先生の目を見て。 「先生は、立派な先生でした。僕がひねくれていただけ。ガキだったんだ。どうしてもこっちを見て欲しくて」 「……五十嵐……?」  先生は少し不思議そう表情をした。前にも増して、綺麗なその顔。  僕と先生の間を風が吹き抜ける。舞う花びらが先生を隠す。見えなくなってしまう前に、僕は手をのばした。あの日のように。  でも今は、少しだけ違う……。 「先生、握手して下さい。先生は、僕の青春だった。3年間、僕の中には先生しかいなかった。……明日から、僕がちゃんと前を向けるように」  先生は驚いたように目を見開いて……それから、柔らかく笑った。 「ええ、五十嵐。あなたは、きっと素晴らしい大人になるわ。素敵な大学生活を。卒業、おめでとう……」  僕は先生の小さな手を握った。壊さないように、優しく。僕らのつないだ手に、桜の花びらが舞い降りた。  ――僕の恋は、そうして終わった。  桜が咲く季節には、思い出すあの綺麗な人。  きっと今も幸せに微笑んでいるだろう。  ……今年も、桜吹雪が舞っている。  
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