ー ファースト・ラブ ー

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 沙世は笑顔で相槌を打ちつつも、大きなお腹を見ながら深く息をついた。結婚して、子供を産んで、母になる。これが幸せな人生の形だと認めるけれど、羨ましいとは少しも思わなかった。結局2年もつき合った義兄とも終わった。結婚よりも仕事を選んだ。昔は好きな人と家庭を持つのが夢で、教師になるのは目標だったはずなのに、自分の人生から結婚という概念が消えてしまったのはいつからなんだろう。もしも相手が義兄じゃなかったら、もしも相手が彼だったら、自分は空港行の汽車に乗ったのかな…… 「あぁ~ッ、めっちゃゴージャス!」  デザートに感激した真奈美の声に沙世はハっとした。思い耽っているうちコースのシメが運ばれ、気づけばさっきまで左隣にいた優香がいつの間にか上座の男子達の所に移動していた。真奈美に早く食べたいと()かされて、沙世は店員が置いていった小皿とトングを手に取った。コースのシメはミニティラミスと季節のフルーツ盛り合わせ。果物のカッティングも斬新で美味しそう。  とりあえず優香の分は残しておき、テーブルにいる友人達の分だけ小皿に取って、沙世がそれぞれに配り終わった時だった。対面に座る光春と真奈美が店の入り口を見た途端、まるで幽霊でも見たかのように顔を強張らせて目を見開いた。いや、光春と真奈美だけじゃない。対面に横並びする全員がギョッと目を剥いて、瞬間冷凍されたみたいに硬直したのだ。 「やだっ、ウソでしょっ!?」  張り詰めた静寂の中、真っ先に口を開いたのは真奈美だった。その声は、驚きと興奮であからさまに震えていた。隣で光春は口を開け、大輝が目を瞬かせている。皆の妙な様子を訝しく思いながら、ゆっくりと沙世は後ろを振り返った。 「!!」  直後、目に飛び込んできた長身の人影に、胸の中で心臓が爆ぜた。沙世は凍りついた。声も出ない。瞬きすらできないまま、涼平と一緒に店内に入って来た長身の人影を凝視した。 「オイッ、マジかよ!! ユキヤか!?」 「えッ、なんでユキヤがいるの!?」 「あれ滝山じゃねぇか!?」 「ホントだ!!」  テーブルの周りから、一気に驚愕の声が噴き出した。当然の反応だろう。涼平と楽しげに話しながら現われたのは、学校祭を間近に控えた高3の秋、ある日忽然といなくなったクラスメート、滝山幸也(たきやまゆきや)だったのだから。  沙世は極限まで目を見開いて、こちらに向かって歩く長身の影を見据えた。背筋をザワリと悪寒が駆け抜けた。全身の産毛が逆立ち、胸の中で感情が沸騰する。  幸也だ。  幻みたいな現実の中に、幸也がいる。  都合のいい夢じゃない。  本当に、幸也だ。  込み上げた涙で潤む視界に幸也を映して、沙世は喉に詰まった息を飲み込むと、動揺と興奮で遠退きそうになる意識を必死に繋ぎ止めた。10年ぶりに姿を見せた幸也には、高校時代の面影がはっきりと残っていた。面長な輪郭の中心を通る高い鼻と、切れ長の瞳が印象深い端麗な顔。10年の歳月を重ねても、華やかさがたゆる笑顔は色褪せていない。  180センチを超えた長身はモデル並みに引き締まっていて、甘やかな香水の中に男の色気が漂っている。ライトグレーの高価そうなシングル・テーラードジャケットの下、黒いVネックのシャツの胸元に、ブルガリのダイヤ付きペンダントネックレスが光る洗練された装いと、ワックスでセットされた茶髪が映えるその容貌に、店内で食事中の女性客が引きつけられるようにして振り返っている。  集まる熱っぽい視線を引きずって、涼平と一緒にやって来た幸也と不意に視線が重なった。次の瞬間、ほんの一瞬だけ、幸也の微笑が強張った事に沙世は気がついた。
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