ー ファースト・ラブ ー

7/19
前へ
/66ページ
次へ
 化粧の所為で誰だかすぐに判断できなかったのか、それとも単に気まずかったのか、幸也が何をどう感じたのかはわからない。既に沙世には心境を察する余裕などなくなっていた。世界から一切の音が消えた。視界に広がる背景も、ピントをぼかしたみたいに色や形がぼやけてゆく。その中を歩いてきた幸也は何か言いたげに唇を震わせたが、言葉を飲み込むみたいに口を噤むと、視線を元クラスメート達へと逃した。テーブルの傍らで立ち止まり、懐かしそうに目を細める。 「みんな、久しぶり」  10年という空白を全く感じさせない自然さで、薄く微笑んだ幸也は昨日の続きみたいにそう言った。最初はみんな唖然と固まっていたが、ハっと目が覚めたように光春が叫んだのを皮切りに、続々と驚きの声が噴き出した。 「アホかッ、"久しぶり"じゃねぇだろ!」 「滝山ぁッ、お前生きてたんかよ!?」 「ちょっとユキヤ~ッ、一体どこ行ってたのぉ!?」  四方八方から飛んでくる質問を、幸也は笑いながら受け止めていた。チラリと元担任を見るや、簡単に断りを入れてから上座へと足を向けた。 「ごめん。色々訊きたい事あるだろうけど、ちょっと待って。俺、古谷先生に挨拶してくるわ」  そう言い残して、幸也がテーブルの最奥に歩いていく。遠くから遊びに来た孫を迎える祖父のような、優しい笑顔で見つめる元担任の目には薄っすら涙が滲んでいた。立ち上がるなり幸也の両手を取って、元担任は何か語り掛けた後に長身を抱き締めた。周りの友人達が笑いながら拍手で再会を盛り上げている様子を、沙世は困惑に息を震わせながら見つめていた。  もう二度と会えないと思っていた初恋の人が今、元担任と話をしている。まだ信じられない。本当に、幸也が目の前にいるなんて。あの日の事は、鮮明に覚えている。忘れられるはずもない。この10年、あの日から心の時計は止まったままだ。  初デートの約束をしたあの日曜日、大通り公園にあるテレビ塔の下で待ち合わせをした幸也は、時間になっても来なかった。電話をかけても音信不通で、夕方までずっと待っていたけれど幸也は現れなかった。あの日はピアノの発表会の前で、幸也と2人で発表会に着る服を選ぶ事になっていた。何日も前から着る服に悩み、髪型に悩み、それでも自分なりに最高のオシャレをして出かけたけれど、初恋の人との初デートは最悪の形で終わってしまった。  そして翌日の朝に聞かされたのだ。幸也が学校を退学したと。急な事だったと古谷先生は言った。家の事情で、と。先生はそれしか語らなかった。悲し過ぎてしばらく涙も出なかったけれど、不思議な事に頭の片隅で安心している自分がいた。交通事故に遭ったんじゃなくて良かった。生きているならそれでいいと思う反面、もう二度と幸也には会えないという現実に打ちのめされもした。  その時の傷は、未だ深く心に刻みついている。忽然と消えてしまった幸也を何度も思い出しては泣いた。テレビ塔を通る度に傷が(うず)いた。記憶の中でしか会えなくなった初恋の人、その人が今、視線の先にいる。あたかも高校時代の夢でも見ているような感覚で、沙世は元担任と話をしている幸也を見つめた。胸の中で、まだ心臓がドクドクと早い脈を打っている。 「びっくりしたぁっ…リョウ! これどういう事!? まさかアンタが言ってたサプライズってユキヤだったの!?」  自分の席に座った涼平に、穂乃果が顔を顰めて詰め寄った。幹事なのに何も知らされなかった事が不満なのか、それともお笑い芸人とかマジシャンなどの演出を期待してたのか、対面を鋭く睨んでいる。だが涼平の方はあっけらかんとしたものだった。 「まぁな。みんな驚いたべ?」 「アンタッ、こういう事は前もって言いなさいよッ」 「オイ加瀬っ、お前ちゃんと説明しろっ。どうやって滝山に連絡取ったんだよ!? アイツは失踪したはずだろ!?」  ビールを一気に煽ると、涼平は苦笑交じりに打ち明けた。 「実は俺、ずっと前からユキヤの居場所知ってたんだよ。つーか、普通にメールのやり取りしてたし」 「はあ!? ずっと前って高3時からか!?」 「そう。幸也が突然中退してからしばらくして、アイツから連絡もらったんだ。その時に色々と事情を聞いてさ。もちろん古谷先生も知ってたんだけど…」 「オメェはアホかっ、だったらなんであの時言わねぇんだよっ」
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!

59人が本棚に入れています
本棚に追加