ー ファースト・ラブ ー

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「じゃあ俺の番号教えるから、お前の携帯に入れといて。ほら、早く携帯出せってば」 「えっ、あ、うん…」  勢いに流されるまま、沙世はカバンから携帯電話を取り出した。お前のも教えて欲しいと言われて、自分の番号を幸也に伝えた。次いで幸也が11桁の番号を言う。緊張で、携帯に入力する指が震えた。 「俺の番号、登録できたか?」 「うん、したよ」 「そっか…夜は仕事で出られないかもしれないけど、折り返し電話するから…連絡、待ってる」 「わかった。じゃあ、仕事頑張ってね」 「おう…沙世もな」  周囲の華やかなネオンにも劣らない鮮やかな笑顔を浮かべて、片手を上げると幸也は踵を返した。ススキノへ向かう背中が、ゆっくりと遠ざかっていく。人混みに紛れる後ろ背を、沙世は静かに見送った。颯爽と歩く姿も、擦れ違った女性達が振り返る光景も、あの頃と少しも変わっていなかった。  円山競技場の空に、拍手と歓声が高らかと響き渡った。1学級30名、各学年4クラス、総勢360名。生徒達と教職員から拍手を送られたのは、12学級の中で見事に総合優勝を果たした2年D組だ。強豪3-Cを抑え、1位を掴み取った2-Dの生徒達が担任の藤崎を囲んではしゃいでいる。  対照的に、沙世のクラスはどんよりと暗かった。ビリこそ免れたものの11位という残念な結果だった挙句、1年生にも負けたとあっては、いくら明るいA組の生徒達もさすがにプライドが傷ついたらしい。輪になる生徒達の顔は、いずれもお面みたいに表情が硬い。 「そんなに落ち込まないで!」  重苦しい空気を吹き払うように、沙世はあえて明るく声をかけた。現地解散の指示が出ている為、他のクラスはもう帰宅し始めている。その傍らで項垂れる生徒達を、沙世は笑顔で(ねぎら)った。結果を慰めるより、純粋に子供達が頑張った部分を称えてあげたかった。輪になる生徒達の顔をゆっくり見回して、1人1人に語り掛ける。 「確かに競技では負けちゃったけど、仲間を応援する姿勢や最後まで諦めない真剣さは、12組の中でうちが一番だった! 担任だから言ってるんじゃないよ。皆のひたむきな姿はとても立派でした。担任として、私は凄く誇らしいです」  隣で俯いていた女子が泣き出した。他数名も同じく、泣きながら幼稚園児みたいに抱き着いてくる。 「センセ~!」 「悔しぃよぉ~」 「ほらほら、泣かないで。みんな頑張った!」  沙世は笑いながら受け止めた。それぞれが笑い、泣き、悔しがり、子供らしい純真な反応を微笑ましげに眺めて、沙世は帰宅する生徒達を見送った。最後の1人が競技場を出たのを見届けてから、本部席に向かって歩いていると、 「香坂先生、お疲れ様でした」  後ろから声を掛けられた。藤崎が小走りで駆け寄って来たのだ。普段はスーツだが、今日は教員もジャージ着用日。スーツを着た知的な雰囲気もいいけれど、スポーティな服装もよく似合う。 「あ、藤崎先生…お疲れ様でした。総合優勝、おめでとうございます」  隣に並んだ藤崎が、爽やかに微笑んだ。 「ありがとうございます。A組もリレーでは大健闘でしたね。香坂先生の必死な声援のおかげですね」 「え!? 私っ、そんなに必死でした!?」 「もし応援賞ってのがあったら、間違いなく先生が1位ですよ」  恥ずかしい。夢中だったから覚えてない。 「ところで今夜ですが、7時に大通りビッセ前で待ち合わせでいいですか?」 「はい、大丈夫です」  返事しながら、沙世は腕時計を見た。7時なら帰って支度しても十分に間に合いそう。 「オレの知り合いの店なんですけど、先生は和食は…」 「もちろん大好きです」 「良かった。じゃあ、7時にビッセ前で。そうそう、前年度の市教研資料の中に英語科の…」  とまで藤崎が喋ったところで、ポケットの携帯電話が震えた。沙世は慌てて取り出した。胸の中で心臓が、激しい脈を打っている。クラス会から2週間。まだ、幸也には電話してない。できていない、と言う方が正しい表現かも。どんな顔で、どういう声で、どうやって話せばいいのかわからず、何度もアドレスから幸也の番号を選択しては発信せずに閉じた。  だから、電話がくる度に幸也じゃないかと焦って、ドキドキして、期待してしまう。携帯を持つ手が震えてしまう。だが、そんな姿を嘲笑うように鳴り続ける携帯の画面には、今回も幸也とは別の番号が表示されていた。 「藤崎先生、ちょっとすいません」 「ええ、どうぞ」  断りを入れてから、沙世は携帯を耳に宛がった。残念なのと安心したのと、ちょっと複雑な気分で応じる。 「もしもし、涼平?」 『よっ、おサヨ! この間は来てくれてありがとな!』
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