ー ファースト・ラブ ー

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 天井から下がるシャンデリアがほんのり明るく照らす店内は、まだ宵の口だというのにかなり混み合っていた。ソファに座る客達はいずれも女性で、綺麗に着飾り高級モダンな店の雰囲気によく似合っている。そして、女性客の相手をしている男性スタッフ達もまた、高級そうなスーツに身を包んでいた。  沙世はすぐに自分達が場違いな客だと気づいたが、それは応対したスタッフも同じだったようだ。金髪の若者は笑顔こそ浮かべているが、入って来た迷い客をどう扱うべきか戸惑っているように見える。 「あー…えっと、ご入店…でよろしいですか?」  念を押すようなスタッフの問いに応じたのは涼平だ。店内の異様な雰囲気に怖じたふうもなく、まるで馴染みの居酒屋にでも来たようなノリで告げた。 「よろしいです! そんで指名はミズキ ジンでお願いします!」 「ジンでございますね? かしこまりました。只今ジンは他のテーブルで接客中ですので、お席で少しお待ちください」  ネクタイに付けたマイクを摘まんで何やら喋った金髪の若者が、耳に付けたイヤホンを片手で押さえながら店の奥に案内する。誘導される涼平に続き、沙世は居心地の悪さを引きずって中央通路を進んだ。でも、後ろを歩く男性教師はもっと居心地悪いだろう。肩をそっと叩いてきた藤崎の爽やかな笑顔も、珍しく強張っている。 「香坂先生、ご友人が付き合ってほしかった場所って、この店なんですか?」  硬い笑みを浮かべたまま、藤崎が少し困惑気味に訊いてきた。 「ここ、ホストクラブですよね? 加瀬さんは…その…男性ですけど、そっち系の方なんですか?」 「だったみたいです…」  案内された席に座った涼平を切なげに見つめて、沙世は溜息をついた。 「私も今、初めてそれを知りました」 「なるほど…」  スタッフに飲み物を注文している涼平の隣に腰かけると、沙世は改めて自称女好きの楽しそうな様子を痛々しく眺めやった。もっと早く打ち明けてくれたら良かったのに。教室で男友達とエッチな本を回し読みしたり、いやらしいDVD鑑賞会を自宅で開いたり、かなり無理して女好きをアピールしていたのかもしれない。そう思うと、涼平が不憫でならなかった。 「…はい、ウイスキーの水割りでいいっす。お願いしま~す…いや~しっかし豪華な店だなぁ」  辺りを見回す涼平の目と、不意に視線が重なった。 「…あ、おサヨのその目…もしかして、俺が実はゲイで、1人で来るのが恥ずかしかったからお前を誘った、とか思ってるな?」 「違うの?」 「違うわっ。んなわけあるかっ。ちゃんとキャバクラにボトルもキープしてるっつーの! そうじゃなくてっ…いや、すぐにわかるから待ってろ」  涼平の言った事は本当だった。金髪のスタッフがウイスキーボトルと氷を乗せたお盆を置くのと同時に、店の奥から聞き覚えのある声がした。長身を包む高価な三つ揃えのスーツ。濃紺のストライプ生地で仕立てられた上下とインナーベストに、黒いYシャツとライトグレーのネクタイという完璧なコーディネートが、甘やかな笑顔をより艶っぽく際立てている。だがソファーに座る場違いな客を見た途端、女ウケするだろう微笑があからさまに曇った。 「――あれ、涼平か!?」 「ようっ、お仕事ご苦労さん! ハハっ、さっすがナンバーワンホスト! 忙しそうだなぁ~」  曇った顔に呆れたような苦笑いが広がってゆく。指名されたホストは背後に佇むと、やれやれといった感じに息をついた。 「男の客なんて変だと思ったらお前かよ。一体いつからこういう趣味…え?」  ふと頭上から落ちてきたホストの目が、驚愕に大きく見開いた。わななく唇から漏れた声も、動揺に小さく震えていた。 「沙世っ!?」 「幸也っ…!」  沙世は息を引きつらせながら、背後に佇む幸也を凝視した。一瞬、こちらを見下ろす幸也の瞳に暗い影が過ったように見えたのは気の所為だろうか。もっとも幸也の心境を推し量る暇はなかった。幸也の鋭い視線が傍らの親友を突き刺していたからだ。 「涼平っ、お前どういうつもりだっ。なんで沙世を連れて来てんだよっ」 「お前がいつまでも煮え切らねぇからだろ」  取り乱す幸也とは対照的に、涼平はゆったり身構えている。 「なんもホストやってるってズバっと言やぁいいのに、サヨがどう思うか~とか、軽蔑されんじゃねぇか~とか、グダグダ悩んでっから、いっそ本人連れてきて見せりゃ、お前も踏ん切りつくと思ってさ」 「お前っ…!」 「もうバレちまったんだから腹括れ」  幸也は何かを言いかけたが、涼平の冷静な指摘に反論する言葉を見出せなかったらしい。結局、不服そうな溜息をついて押し黙った。沙世は幸也に声をかけようとした。ホストだからって軽蔑なんてしないと、バツ悪そうな顔をしている幸也に伝えたかった。だが沙世が声を発する寸前、藤崎が問いを差し込んできた。 「あの、こちらの方も香坂先生のお友達ですか?」 「え? あ、はい…高校時代の同級生です」  幸也の瞳が藤崎を捉えた。もう1人の客がソファに座っている事に、今になって気づいたようだ。それまで気を許していた幸也の顔が、一瞬にして玄人に戻った。感情の薄い冷めた幸也の眼差しを、特に気分を害したふうもなく藤崎は悠然と受け止めている。だが幸也に返した視線はどこか挑発的だった。爽やかな笑顔を乗せたまま立ち上がると、藤崎は丁寧に一礼しながら名乗った。 「香坂先生と同じ学校に勤めています、藤崎慎吾です。今夜はせっかくのご友人同士の集まりにお邪魔しまして、大変失礼致しました」 「とんでもありません。こちらこそ、ご挨拶もせず失礼しました」
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