ー ファースト・ラブ ー

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 一体、この微妙な気配は何だろう。沙世は藤崎と幸也を交互に見ながら、二人の間に張り詰める妙に硬い空気に戸惑った。藤崎に応じた幸也の態度もまた、つけ入る隙がないぐらい礼節を保っているが挑戦的だ。まるで、法廷で論戦を繰り広げんとする検事と弁護士みたい。 「CLUBスノー・クリスタルにようこそ」  先に突き付けた剣を下ろしたのは幸也の方だった。余裕めいた微笑を口元に刻み、丁重に名乗る。 「本日はご指名ありがとうございます。水城仁です。よろしくお願いします」  あたかも喋り終わるのを待っていたかのようなタイミングで、藤崎の携帯電話が鳴った。画面をチラリと確認するなり、訝しげに眉根を寄せた藤崎が断りを入れてきた。 「すいません香坂先生っ、ちょっと失礼しますね」 「え? あ、はい、どうぞ」  音楽が響くホールを小走り横切りながら、藤崎が騒がしい店内から慌ただしく出て行った。それと同時に涼平までもが、ホストへ席を譲るみたいにして立ち上がる。 「ワリィ、俺もちょっとトイレ行ってくるわ~」 「はあ!? ちょっと待ってよっ、涼平!」  遠ざかる背中に呼びかけたが、涼平は機嫌良さそうに店の奥に行ってしまった。沙世は固まった。独りぽつんと取り残されて、どうしていいのかわからない。 「…なんだよ、俺と2人きりは嫌か?」 「そ、そんな事ないけど…」  涼平の席に腰を下ろした幸也が、少し拗ねたような息をついた。違う。嫌なんじゃない。ただ何となく落ち着かないだけ。それを上手に言葉で表現できず、沙世はそわそわと辺りを見回した。実はさっきからずっと、周囲の女性客達の視線が気になっていた。男を2人も連れてやってきた上、店のトップを独り占めする新人が気になっているらしい。こっちを串刺しにする彼女達の視線はいずれもナイフみたいに鋭い。 「ホストやってるなんて、驚いた?」  氷を入れたグラスにウイスキーを注ぎながら、幸也が訊いてきた。周囲の女性客から突き刺さる視線などお構いなしで、グッと距離を詰めてくる。沙世は居心地悪げに体を丸めると、軽く頷き返した。 「えっ…あぁ、うん、少しね。ススキノで働いているって言っていたから、てっきりバーとかなのかなって思ってた」 「別に隠してたわけじゃねぇんだけど、なんか話すタイミングがつかめなくて…沙世は酒、薄めがいいだろ?」  ほんのり黄金色に光るグラスをマドラーで掻き混ぜながら、幸也が顔を覗き込んできた。 「お前、酒はあんまり強くないよな?」 「どうしてわかるの?」 「クラス会でお前のテーブルに残ってたの全部カクテルだったから、あんまり酒は得意じゃないんだと思ってさ…はい、できた」 「…ありがと…」  グラスを受け取って、沙世はそっと口づけた。幸也からお酒を勧められるなんて、何だか変な感じ。緊張で乾いた喉を潤そうとグラスを傾けた瞬間、耳元に顔を寄せた幸也が甘やかに囁いた。 「お味はどうですか、お姫様?」 「んぶッ…!?」  突然お姫様なんて呼ぶもんだから、沙世は飲みかけた水割りを吹き出すところだった。寸前でどうにか飲み込んだものの、気管に入って小さくむせ返る。幸也は笑いながら背中をさすると、手早くおしぼりを差し出した。    「ハハハっ、大丈夫か? ほら、これで口拭けよ。お前、顔真っ赤だぞ」 「幸也が変な呼び方するからでしょっ。お姫様なんて呼ばないでよっ、恥ずかしい!」 「じゃあ女王様にするか? お嬢様でもいいぞ?」 「私で遊ぶのやめてって言ったでしょ」  おしぼりで口を拭いながら、沙世は幸也を横目で恨めしく睨んだ。こういうやり取りも、ホストの接客術の1つなんだと頭ではわかってる。でも、相手が幸也なだけに、仕事用の客対応をされてるだけなんだと割り切れない。逆に、幸也の方は慣れたもの。長い足を組んで、ゆったりとソファにもたれている。 「ごめん。お前の反応が面白くてついな」 「面白いって…とにかく、普通にサヨでいいから」 「あの連れも、お前をそう呼ぶのか?」  沙世は首を捻った。 「連れって?」 「一緒に来たあのイケメン。いかにも仕事できますって感じのヤツ」 「あぁ、藤崎先生ね。ただの同僚だよ。頼れる先輩」 「ふぅ~ん、ただの同僚か…あっちはそう思ってねぇみたいだけど」  妙に意味ありげな幸也の言葉にも、沙世は頓着する余裕がなかった。さっきから集まっている女性客達の視線が、更に鋭さを増しているような気がする。沙世はグラスに口づけながら、周囲を見回した。  女性客の視線は敵意に満ちていた。幸也を独占している事への嫉妬、威嚇、嫌悪…あらゆる負の感情が渦巻いている。こんなにも無遠慮に敵視されたのは初めてだった。モンスター両親は何人も相手にしてきたが、さすがに彼女達の露骨な敵意にはちょっぴり腰が引けてしまった。 「ホストクラブって華やかだね。お客さんもリッチな感じだね」 「うちの店は特にな。俺が東京時代に世話になった人がオーナーしてんだけど、うちは他店と違って高級感をウリにしてるから、客も結構ハイクラス。みんなお目当てのホストに褒めて欲しくて着飾って来てるんだよ…沙世は、俺に会いたくなかった?」  そうきいた幸也の目は、顔に浮かべる微笑とは真逆に真剣だった。純粋に答えを求める真っすぐな眼差し。沙世は騒めく心の震えを感じながらも、笑顔を添えて冷静に返してみせた。 「そんな事ないよ…なんで?」 「電話、くれないから」  小さな溜息をついて幸也が呟いた。
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