ー ファースト・ラブ ー

18/19
前へ
/66ページ
次へ
 切迫した様子で、また別のホストが駆け寄って来た。同時に響いた店内の一斉挨拶。後ろを振り返った幸也が重い息をついたのと同時に、ホストが申し訳なさそうに告げる。 「メイコ嬢が来ました。オレらじゃダメなんでお願いします。なんか訳ありっぽくて、結構荒れてるんですよね。今夜はジンさん指名のお客が多いのに、タイミング悪いっす。この間みたいな事になんなきゃいいんですけど…」 「大丈夫だ。メイコは俺がうまくやるから、お前らは他の客を頼む」  沙世は入り口で何やらモメている女性客を遠巻きに見やった。対応しているのは、さっきの若い金髪のホストじゃない。年の頃は40代後半ぐらいの眼鏡の男。黒いスーツをきっちり着こなした大人の風格といい、接客慣れした様子といい、きっとマネージャーとか店長の類だろう。  その強者を困らせているのは、まだ20代前半の若い女性だ。着ているタイトなワンピースも、バックも靴も全て高価なブランド品。アクセサリーに関しては言うまでもない。耳から下がる純金のチェーンピアスの下に付いたダイヤの輝きはここまで届いている。前下がりボブの柔らかい髪に見え隠れする顔はまだ若く、大学生と言っても通りそう。けれど、年配のスタッフに絡んでいる様子は酔っ払ったオヤジと大差ない。 「ゴメン、俺もう行くわ」  疲れた視線を入り口の女性客に向けると、幸也は気怠げに立ち上がった。 「ここは俺のおごりだから金はいい」 「マジで? さっすがナンバーワンホスト君! 気前いいなぁ! ほんじゃ高いボトル入れちゃおうかな~」 「ふざけてないで、飲んだら帰ってくれ」 「えぇ~、ぼくっち他のホスト君とも遊びたかったのにぃ~」  沙世は涼平の服の裾を引っ張った。幸也が冗談に付き合う暇もないぐらい急いでいるのがわかったからだ。それに、正直ここは自分には合わない。帰る為の口実を探していたので丁度良かった。 「涼平、お店も混んできたし帰ろうよ…ごめんね幸也、引き止めちゃって。今席空けるから」 「いやっ、そういうんじゃねぇんだ。単に俺が沙世の横に他のホストつけんの嫌なだけ」  ヒューっと涼平が口笛を吹いた。それを頭上から一睨みすると、幸也は忙しそうに踵を返した。 「またな、沙世…今夜は来てくれてありがとう。じゃあ」  遠ざかる幸也の背中を、沙世は複雑な気持ちで見送った。決してホストという仕事に偏見を持っているわけじゃないけれど、自分よりも年下の女の子に、いい歳をした大人の男が振り回されている光景は気分のいいものじゃない。 「――あ~! ジ~ン! やぁっと来てくれたぁ~!」  歩み寄って来た幸也を見つけた途端、それまで不機嫌だったお嬢様の顔にぱぁっと笑みが散った。恋人よろしく幸也に抱きつくと、不満そうに口を尖らせた。 「んもぅ、いつまであたしを入り口で待たせるつもりぃ~?」 「いらっしゃい、メイコ」  応じる幸也は冷静だった。胸に抱きつく客の背中をよしよしと撫でながら、甘やかに微笑みかけている。 「おいおい、どっかで飲んできたのか?」 「だってぇ、早くお店行ってもジンってば他の子と同伴とかして、いない事多いんだもん。だから他のお店でちょっと飲んできたのぉ」 「それは残念。俺が酔わせたかったのに」  ぎゅっと抱き締められたお嬢様はうっとり目を細めると、駆け引きめいた物言いでお気に入りのホストに訴えかけた。 「シャンパン飲む余裕はあるよ? ジンがぁ、あたしの傍にずっと居てくれるんならぁ、今夜は2本入れてもいいかなぁ~…ねぇねぇ、今度はあたしと同伴ね? 約束ね?」 「わかったよ…じゃ、こちらへどうぞ、お姫様」  幸也と腕を組んでステージ前の一際大きなボックス席に向かうお嬢様に、店内中の女性客の視線が集中している。激しい嫉妬と敵意がビシビシと伝わる鋭い視線も、どうやらお嬢様の優越感を高める肴にしかならないようだ。自分のものと言わんばかり幸也にべったり甘えると、大きなソファに座って酒を注文している。 「…なんかホストってぇのも大変だなぁ」  ステージ前を眺めながら、涼平がボソっと呟いた。沙世は膝の上で両手を握り締めた。税理士になろうと頑張っていた幸也が、あんな若い子相手に媚を売らなければならない現状を目の当たりにして、息が苦しくなった。  もちろん憐れんでいるわけでも、ホストという仕事を差別しているんでもない。ただ、どうしようもなく胸が苦しいのだ。自分でも、なんでこんなに心が掻き乱れているのかわからない。なんでお嬢様から目を離す事ができないのかも、彼女を甘やかす幸也の姿に悲しくなるのかも…… 「おサヨ、ぶっちゃけ今の幸也をどう思う?」  沙世はふと我に返った。
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!

59人が本棚に入れています
本棚に追加