ー 揺れる想い ー

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 それはこの前、沙世が店に来た時に痛感させられた。例え東京でナンバーワンホストの座に就こうと、所詮(しょせん)は社会の底に溜まる宵闇の世界での話。自分の夢を叶え、太陽の下で聖職に就いている沙世とは生きる世界が決定的に違う。この差は何をしたって埋められない。沙世はもう手の届かない高みにいる。  なのに、自分でも呆れるぐらい沙世が好きだ。  やっぱ会わない方が良かったかもしれない。沙世の方はとっくに過去の思い出にしていて、あの日から続く今を生きているのだと頭では割り切っていても、心がその現実を受け入れられずにいる。手を伸ばせば、もう一度沙世に手が届くんじゃないかと勘違いしてしまう。  取り留めもない事をぼんやりと考え耽っていたら、目の前に黒いアウディーが一台止まった。後部座席が開いた途端、中からお得意様が勢いよく飛び出してくる。 「ジ~ン!」  駆け寄って来たメイコが胸に抱きついた瞬間、香水の匂いが鼻を突いた。ピンク色のシャネルのワンピースに、グッチの新作バック、アクセサリーを含め総額100万以上のコーディネートを誇らしげに(まと)うお得意様は、北海道でも最大手の観光会社キタカゼ・グループの社長令嬢だ。去年大学を卒業したばかりの23歳だが、親の力で会社では高い地位にあるらしい。  見た目も中身も幼稚この上ないワガママお嬢様だが、彼女気取りの痛い客であるこのメイコは、幸也の地位と売上を支える強力な支援者だ。強豪揃いの札幌ススキノで、恩人の竜聖が開業してから約2年。いくら東京で名を上げた伝説的ホストでも、やはり経営初心者というハンデと気風の違う地元では思ったようにはいかず、幸也が入った当初も店は厳しい状態だった。  それをたった1年と少々の短期間で、ススキノのホスト業界のトップに躍り出る強豪店にしたのは他ならぬ幸也だ。顧客が増えれば当然、店内の競争率も上がる。決して若いとは言えない年齢で、コネクションもない幸也を店内のみならず、ススキノのホストの頂点に押し上げているのは、ひとえに顧客数と彼女達の財力に他ならない。 「ごめんね、遅くなっちゃってぇ」  派手な化粧で彩った童顔に子供っぽい笑顔を浮かべて、メイコがねっとりと上目遣いで見上げてきた。 「パパとお茶してたら時間ギリギリになっちゃったの。待ってたぁ?」 「待ってたよ。昨日の夜からずっと、楽しみに待ってた」  満足そうに微笑むと、腕を組んできたお嬢様はさっそく目的のレストランに向かって歩き出した。あたかもお気に入りのペットでも自慢するみたいに、通行人に自分達を見せつけながら歩きつつ、べったりと腕を絡ませてくる。 「ねぇ、ジンはフレンチ好き?」 「ああ、基本的には何でも食うよ」 「じゃ~あ~、あたしも食べるぅ?」  腕に胸を押し当てて、露骨に誘いながらメイコが見上げてくる。甘ったるい声でご褒美をおねだりしてくるお嬢様に、幸也は砂を噛むような思いで微笑みかけてやった。 「食べようかな。食事のデザートに」 「キャハハっ、ジンってばエッチ~!」  ケラケラ笑うメイコはご機嫌な様子で、今夜プレゼントしたい高級時計について話していたが、幸也はほとんど聞いていなかった。笑顔で相槌を打ちながら会話を弾ませる間も、ずっと頭を満たしているのは沙世の顔。クラス会の帰り、一緒に狸小路を歩いた夜が忘れられなかった。  思えば沙世との付き合いは、たった1ヶ月間の短いものだった。  高3の時に初めてクラスが一緒になって、すぐに好きになって、夏休み明けに思い切って告白して、両想いだと知った時は本当に嬉しかった。それから昼になると学校の屋上で一緒に弁当を食べ、部活のない日は一緒に帰り、たまに寄り道をして2人の時間を楽しんだ。  そしてあの日。  人生最高の一日になるはずだった、人生最悪の日。  付き合って初めてデートの約束をした。待ち合わせは大通りのテレビ塔の前。何日も前から昼食の店を選び、沙世を連れて行く場所を考えた。ピアノの発表会に着るワンピースを買いたいというので、2人で街を歩きながら選ぶ事になっていた。本当は、沙世に買ってあげるつもりだった。沙世がびっくりする顔と、喜ぶ顔の両方を見たかった。だが――― 「――ねぇジン、あたしの話きいてるぅ?」 「…ん?」  思い出に浸っていた思考を弾かれて、ハっと幸也は我に返った。見れば、左腕に絡みついたメイコが不服そうに唇を尖らせている。 「ゴメン、何だっけ?」 「ジンってば、もしかして他の女の事考えてたぁ?」  鋭い女の勘に内心ヒヤリとしながらも、幸也は甘やかな笑顔で切り返した。 「女の事? あぁ、考えてたよ。今夜はどうやってメイコを楽しませようかな~って」 「えぇ~? ほんとにぃ~? じゃあ、今夜はぁ…」   嬉しそうに笑って、メイコが何か言いかけたその時、突然、スーツの内ポケットに入れた携帯が激しく震えた。咄嗟に幸也は立ち止まった。前につんのめったメイコを無視して素早く携帯を取り出す。  沙世の番号だった。  同伴中である事も横断歩道のド真ん中なのも忘れて、幸也は即座に電話を受けた。 「もしもし!? 沙世か!?」
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