ー ファースト・ラブ ー

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 地獄に仏とはこういう事を言うのだとつくづく沙世は実感した。けれど、厚意に甘えるのはさすがに気が引けた。忙しいのは藤崎も同じ。いや、むしろ分掌部長という立場を考えれば、藤崎の方が仕事量は多いぐらい。こうして荷物を運んでもらっている上に研究授業の手伝いまでしてもらうなんて、有り難いやら心苦しいやら、ちょっと複雑な気持ち。 「ありがとうございます。でも…」 「オレじゃ頼りないですか?」 「とんでもない!」  力み過ぎて声がひっくり返った。ハっと沙世は口を押えたがもう遅い。隣で藤崎が爽やかに笑った。 「全力で否定してもらって安心しました。じゃあ、オレが市教研で使った授業後の検証会議の資料も持って行きますから、よければそれも参考にして下さい。教科は違っても検証会議の中身は同じですからお役に立つはずです」  こうした控えめな藤崎の厚意には、いつも救われている。まるで心の中を見通しているような絶妙なタイミングで助け舟を出してくれるから不思議だ。 「色々とお気遣い頂いてありがとうございます」  「じゃあ、食事の件はOKという事で」 「はい。よろしくお願いします」  小さく「よしっ」と聞こえた気がしたのは空耳だろうか。沙世は両手が塞がっている先輩教師の代わりに職員室のドアを開けた。机までワークの束を運んでくれた藤崎が、耳元でこそっと言う。 「香坂先生の好きな物、後で教えて下さい。旨い店を探しておきますから」 「藤崎先生のお好きな所で結構です。お任せします」 「どうせなら先生の食べたい物を…」  藤崎が言いかけた時だった。 「――藤崎先生、電話ですよ」  受話器を掲げた事務官が会話に割り込んだ。教室3つ分程ある広い職員室の奥、大きな予定表黒板の前にはデスクが三台横並びしている。右端が校長。中央が教頭だ。その横、左端の窓際デスクから顔を覗かせている事務官は、急いでいるのか、早く出ろと言いたげに眉を寄せている。 「すいません香坂先生、この話は後でまた」 「はい」  電話を受けた藤崎に目礼して、沙世は自分のデスクに戻った。その拍子にふと目についた携帯電話には、着信とメールが届いていた。どうせ迷惑メールだろう。着信履歴を見てみたけど知らない番号だった。メールもやっぱり知らないアドレス。開いたメールを消そうとした瞬間、不意に懐かしい名前が文面に見えて、沙世は慌てて内容を確かめた。 > 加瀬涼平です。久しぶり!  突然電話してゴメン。  話したい事があるから電話くれ!  驚いた。加瀬涼平は高校時代のクラスメートで、仲良くしていた男友達。とはいえ、今では年賀状のやり取りをしているぐらいで、ほとんど疎遠になっていた。一体どうやって電話番号を知ったんだろう。沙世は着信履歴を確認した。20分前に不在着信がある。新手の詐欺の可能性も否定できないけれど、級友の名前を見ては無視するのも気が引けて、とりあえず沙世は折り返しその番号にかけ直してみた。  5回のコール後、電話の奥から懐かしい声がした。 『ようっ、おサヨか!』  久しぶりに聞いた高校時代の呼び名。思わず沙世は口元を綻ばせた。 「涼平? んもぅ、10年ぶりぐらいなのにいきなり"おサヨ"って、ホント相変わらずだね」 『アハハっ、わりぃ! お前の声聞いたら高校の時に戻っちまった』  電話口で笑っている涼平とは、高校の3年間ずっと同じクラスだった。明るくひょうきんでクラスのムードメーカーだった素質は今も健在らしい。活力のある声もハキハキした喋り方も昔のまま。 「びっくりしたよ。いきなり涼平からメール来てるんだもん。私のアドレスや番号どうやって知ったの?」 『ああ、それな。ホノカに聞いたんだ』   意外な名前が出てきた。穂乃果は今でもたまにお茶する仲で、つい最近もクラス会の返信ハガキを送ったばかり。2人が卒業後も連絡を取り合う程親しい仲だとは知らなかった。でも、単に親しいだけじゃなかったようだ。電話の奥で涼平が口早に続けた。 『実はホノカと俺、クラス会の幹事なんだわ』 「そうなの? 穂乃果が幹事なのは知ってるけど、涼平もだったんだ?」 『おう。女子の連絡係はアイツで、男子が俺。でさ、おサヨは欠席するってホノカから聞いたんだけど、再来週の土曜は都合悪いのか?』 「えっと…悪いっていうか…」
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